考 察 |
以下ネタバレとなるので注意。 本文ではネタバレとなるので書けなかった事だが、この作品における意外性とはいわゆる「叙述トリック」を利用している所にある。小説としてのミステリには特に関心はないという方もいるだろうから簡単に説明すると、ミステリでは通常は完全な第三者視点(ナレーション)、あるいは登場人物の中の誰か一人が一人称で語り掛ける形になる。そしてその記述内には(誰かの一人称視点における誤認はともかく)嘘が入っていない事が前提とされる。語り手の内容に嘘があっては何を信用して読み進めば良いのか判らなくなってしまうからだ。だがそれを逆用して語り手の記述に読者を誤認させる様な形での嘘を交え、それが後に明かされる際に意外性を生むという形でトリックとして使うという手法もある。これを「叙述トリック」と呼ぶ。このゲームで言うなら、主人公であるエドワードの視点から見える事や語られる事は正しいというプレイヤー側の思い込みを逆手にとって、実はその認識が誤っていたという形でプレイヤーを引っ掛けている訳である。 ミステリファンの間でもこのタイプのトリックを認めるかどうかには意見の相違はあり、この作品においても「精神的な疾患による幻想」という真相を意外だとして評価するか、アンフェアなやり方で認められないと受け取るかに個人差は生じる。しかしその辺を考慮して「許容する人には面白いから進めたいが、嫌いな人には避けた方が良いと忠告するべき」と考えても、事前に「このミステリは叙述トリックを使っています」と公開してしまうと、叙述トリックを使っている事を知った上で読み進めるとそのトリックに気付いてしまう確率が高くなるからネタバレの一種に該当してしまうという難しさがあり、「これは記述にトリックを使ったミステリです」と明らかにはし辛い。レビュー本文で「意外性はあるが好みによる」という風に曖昧な表現に留めたのはその為である。 他の使用作品の具体例を出してはネタバレになるので避けるが、一般的には叙述の“トリック”という以上はそれが“フェア”であるのかは評価上重要になる。ややこしいが「叙述トリック」を使う事自体がフェアかアンフェアかとは全く別に、使われている叙述トリックがフェアかどうかが問われてくる。「完全な嘘で読者は気が付きようが無い」のか、注意していれば「実は本当はXXXであるのを、記述のやり方を変えて○○○だと誤認させようとしている」と見抜ける余地がちゃんとあるのか、それが重要という意味合い。良く注意していれば叙述トリックだと見抜けていた、と読後に納得出来るのならばそれはフェアであると認められるし評価もされるという話である。 このゲームならば「リッシーは実際には存在しない幻覚の様な存在である」と、それが途中で明かされる前にプレイヤーには気付ける余地があるのか?が問われてくる。それに関して言えば、エドワードは宿泊用に荷物を持っているのにリッシーには手荷物が無い, ホストに対して複数人数で訪問する予定といった事を伝えていないかに見える, 何等かのオブジェクトに対してそれを“物理的”にどうにかする(ドアを開ける等)は一切行わない等、後で考えてみると不自然な点は幾つか存在しており、個人的にはフェアだと言えるのではないかという意見。 上手いと思えるのがワープに関して。リッシーはテレポートしているかの様に突然出現するが、他のゲームでもお供に連れている他のキャラクターがワープして移動する事は普通にあるので、リッシーの有り得ないような移動の仕方を見ても「これはゲーム上のシステムとしてワープしているのだ」とプレイヤーに怪しまれずに済む。実際には想像上の存在なのでどこにでも瞬間的に出現可能だという話であった事になる。 Draugen Collector's Editionには Before Draugen: Prequel Comic Book が収録されており、これはコンソール版には提供されているのだが何故かPC版には現時点ではリリースされていない。遅れているというお詫びのメッセージは見られるが予定の22/05はとっくに過ぎておりその理由は不明。 このコミックスにはエドワードの少年時代が描かれており、リッシーやエンジェル(彫像)の出現に関する状況などが記載されている。あまり詳細では無いのだが一応解る事をまとめてみる。 エドワードが子供(おそらく11歳)の時にエリザベスが溺死。それを受けて母親が首吊り自殺。その後リッシーが幻覚or自身の妄想として出現する。彼は外には出ずに読書ばかりしていたので、本の中の登場人物をモデルにして作り出したのではないか。彼女はこのゲーム内と同じに活発で彼を外に遊びに誘おうとする。それに対する防御として自分の家族の墓地に設置されている彫像のエンジェルが別の妄想として出現し、エドワードに対して危険だから外に出ないように厳重に注意するという役割を果たす。想像だがリッシーは友達として生み出された妄想だが、性格の設定から彼を外に連れ出して遊ぼうとする。その性格自体を修正するのは人間性を変えてしまう事から難しいので、別にそれを止める役割としてエンジェルを生み出したのではないだろうか。なお父親も酒浸りの後に拳銃で自殺。エドワードの精神異常は更に激しい物になったと思われる。 ゲーム本編からも解る様にエドワードはリッシーが自分の妄想が生み出した幻覚だと認識はしている。またリッシーも彼女自身が幻覚であると認識しているという設定である。 リッシーとの会話は脳内で仮想的に行われているのではなく実際に声を出して喋っている。よって他人から見ると一人で空間に向けて話している様に映る。 エドワードがどういう生活をしていたのかはコミックスにも書かれていない。子供一人で暮らせる訳もないし両親が死んで身寄りが無くなったのであれば親類に引き取られるとかになりそうだがどうだったのかも判らない。現在仕事をしているのかも不明。旅行はしているので金が無いとかでは無さそうだが。 エドワードの精神的な疾患が解り難いのは、発生が子供の時だからという件が大きい。物心がついて一般的な常識が身につくのは何歳くらいかとなると意見は分かれるだろうが15〜16歳辺りになればほぼそうなるのではないかと思う。この時期以降に精神に異常を来したとするならまだ想像も出来るのだが、それに達していない11歳とかに精神異常を来すとどういう風になるのかは想像が困難である。子供故に妄想の度合いは激しく、生み出した仮想的なキャラクターとの関係が非常に強い物となってしまったのであろうか。意見の異なる2人のキャラクターを同時に出現させて自分を含めた3人で議論をするなどかなりイカれている様に思えるのだが、子供時代から30年以上続けられている妄想なだけに当人の感覚からすれば別に普通の事だとして処理されているのかもしれない。 鐘の音とか他人の家のドアの開閉なども幻覚であった事になり、そこまで来るとどういう精神状態になっているのか想像が出来ない。ゲーム中にエドワードの視点を通じて見せられていた光景のどこまでが本物だったのかも確定は出来ない事になる。 |