GAMEPLAY |
発売当時に議論となった件でもあり、そして一部のプレイヤーから批判された原因として「これは果たしてゲームと言えるのか?」という物がある。今では一般的に通用するようになったウオーキング・シミュレーターではないのかという件。一応書いておくとウオーキングシミュレーターとは、探索がメインでゲーム性(パズルやアクション要素)が希薄もしくは全く無いタイプの物を指す。移動しながらメモ等を集めてストーリーや背景設定を理解して行く形で進められて、単にゲームの形態を借りている「読む本」といった見方もされている。よってこのジャンルの作品においては「ゲームでは無くて“体験”と呼ぶ方が適切なのではないか」という議論が起きたりもしている。 制作者側は「このGone Homeはゲームである」と言い切っているが、その辺りは何を持ってゲームと呼ぶのかという論議にもなってくるので難しい。「(ウオーキングシミュレーターとされる作品の中で非常に有名な物の一つである)Dear Estherには影響を受けたが、これはそれをもっとインタラクティブな形にした作品」とも述べている。 私の感想としてはこれは明らかにゲームであり、ウオーキングシミュレーターなどでは無い。様々な情報にアクセスするにはまるで現場調査を行う探偵の様に屋敷内を探索しないとならなくなっているからである。全てのドキュメント類があからさまに解り易い場所に置かれているならゲーム性は希薄だが、屈まないと見えない場所に置かれている物, 他のアイテムを退かさないと見えない物, 不自然とも感じられる様な隠され方をされている状態の物など、相当徹底して探索しないと全てのアイテムは発見出来ないようにされている。 メインとなるのは主人公であるサムの情報関連になるが、これはストーリーの項でも書いたように「発見したアイテムに関する日記のエントリーが、メタ視点からプレイヤーに対して音声で語られる」というシステムで、このエントリーの一覧を埋めていくのがプレイヤーの第一の目的とされている。両親の状況に関連する情報などはまとめ機能は無く、探索して見付けた分だけ理解することが出来るという設定。他には「なぜこの屋敷は周囲からそんな風に呼ばれて(見られて)いるのか?」という謎は、徹底して探索しないと理解出来ないようになっている。 このゲームのユニークな所、そして問題ともなっている所とは、その様に徹底して探索しなくてもクリア出来てしまうという点にある。つまりウオーキングシミュレーターでは無いのだが、その様にプレイしてクリアしてしまう事も可能になっている。普通のゲームにおけるストーリーの語り方とは、これは見逃さないだろうという場所に重要な情報を記したドキュメント類を置いておく。それでも見落としが不安ならば強制的に発生するイベントやムービーシーンでそれを語るという風にする。絶対にプレイヤーに知らせておくべき情報はそうやって、その他の重要度が低くなる物はプレイヤーの探索&発見次第という風にしておくのがパターン。 ところがGHでは多数の重要な情報を入手しなくてもゲームの最後まで行けてしまう構造が採られている。確かに重要な情報ほど目に付く解り易い場所に置かれてはいるが、フラグ管理の様なシステムがほぼ無くて入手していなくても先に進められてしまう。だから普通ならばそれをユーザーに教えないというのはあり得ないといった類の基本的な情報でも飛ばしてクリアが可能。 一例として帰宅時に両親は家に居ないが、どこに行っているのかは解り易い場所(しかも複数箇所)に情報が有るので誰にでも解るはず。ところが何故そこに行っているのか?は探してその情報を見付けないと解らない。するとその理由を発見出来なかった場合、「帰ってみたら両親が居ない、といかにもミステリアスな展開を期待させておいて、単にXXに行っているから居ないだけなのか? そんなの肩透かしにも程があるだろう」と思われてしまう事になる。このレベルのストーリーや状況を理解する上で非常に重要な情報を見付けなくてもクリアまで到達してしまえるという大胆な構成を用いているのが大きな特徴である。 なおパズル的な要素は若干在るが、暗証番号の発見等では無視しても進められる物も含まれている。屋敷内の探索における順序の制限も少なく、ロックを解除しないと進めない様に設定されている箇所は3つ程度しか存在しない。 どうしてそんなデザインになっているのかと言うと、その点こそがナラティブとしてのゲームの最大の特徴になっているからである。ナラティブという言葉はかなり広義に使用されているので意味としては明確に定義は困難だが、私の理解としては昔ながらの「ストーリー」を語るという手法は、強制的なイベントやムービーによる一方通行での説明方式であり、その解説のタイミングが制作側によってコントロールされている形式を指すのに対し、「ナラティブ」とはプレイヤー主導でプレイヤー側の行動に応じてストーリーが語られていく方式であり、どんな風にどんな順番で体験していくのかはプレイヤーによって異なるというスタイルを意味している。 GHにおいては屋敷内の探索順番には相当な自由度があり、発見して理解していく情報の順番はプレイヤーによって大きく異なる。そして自分が発見した分だけしかストーリーは解らないというリアリティに重点が置かれている。言わばリアルな家捜し情報収集シミュレーターの様な物で、実際に自分がその屋敷内で探索を行っているかの如く発見出来た分だけしか情報を知る事が出来ない。よって何が起きたのかを理解出来る最低限の情報が都合良く得られるとは限らず、どれだけ情報がバラバラなのかはプレイヤーによって異なる。つまり制作側によって用意されている中でどれだけの情報を知ることが出来るのかはプレイヤー任せというデザインになっている。普通ならばプレイヤー側にてストーリーが理解出来ないのならば、それはプレイヤーへの情報提示の仕方に問題があるという話になる訳だが、GHではプレイヤー側がストーリーを理解する為の情報を集めていないのだから、現実世界同様にそれだけしか内容を理解出来ないのは当たり前というのが制作側の立場と言える。 この方式の何が優れているのかと言えば、まず自分の探索の程度に応じて理解度が決まるというリアリティ。そして自分が情報を探して見付けたからこそストーリーや家族の事情を理解出来ているのだという達成感を得られる。更に制作側の都合と押し付けによるストーリー説明のレール(誘導)から外れているという感覚。つまりは自分主導でストーリーを体験しているという実感を生むという所。 だがこういうデザイン故に、とにかくゴールへと向かって急いでプレイした人には失望を与える可能性が生じてしまう事になる。必要な情報は全てゲーム側から与えられるはずだから、前に進めるのならば進めてしまって問題は無いはずという姿勢でプレイしてしまうと、大して理解出来ていない状態でエンディングへ到達という形に。それに因りストーリーが面白く無いと不満を言うプレイヤーは当然出て来るし、またプレイヤーを留まらせる(詰まらせる)様な箇所がほぼ無い為に「あまりにも短か過ぎる」, 「これはゲームじゃ無い」という失望にも繋がる(二周目モードは存在するのでそこで取り残した情報を探しながらリプレイというのは可能だが、これはやるかどうかは人による)。そういうプレイヤーが一定数出てくるのは避けられないので、多数決によるゲームの総合評価は下がるという形にならざるを得ない。 よってこのゲームは私の様に「行ける場所には全て行ってみる」, 「徹底してアイテムの見落としが無いかを探す」といったスタイルのプレイヤーに適していると言える。逆に「先に進められるのならば探索していない場所が在っても無視」, 「アイテム類は必要とされないのならば特には念を入れて探さない」といったスタイルのプレイヤーには向いていない。 個人的にはこういったデザインにした効果は認めるし、語り口の新しさは高く評価されるべきとは思う。だがカットする幅が大胆過ぎるという印象も否めない。見付けられなかったら知ることが出来ずに終わるという情報をもうちょっと少なくして、高速クリア型のプレイヤーでも知ることが出来るという情報量を若干は増やした方がバランスとしては良くなると思える。 その他に書き添えておく点としては、このゲームでは置かれているアイテム類はほとんど何でも取れるし、タンスの引き出しや戸棚の扉などもほぼ全て開ける事が可能。これは彼等の哲学として「取れそうな物は何でも取れる。インタラクト出来そうな物は何でも反応があるという風にして、これは操作出来るはずだというプレイヤーの期待を裏切らない」という物が有るからだそうだ。その為に確かにリアリティを生んではいるのだが、大半のアイテム類や引き出しの中身には意味が無いので、意味のあるアイテム類を探す為にはその何倍もの意味の無い物にインタラクトしないとならないという事にはなっている。 |
GRAPHICS & SOUND |
Unityを使用。グラフィックス設定のプリセット5種。個別の設定項目は幾つか有り。 屋敷内のリアルな探索感を生むにはグラフィックスは結構重要となる。それはエンジンのアップデートもあって発売当時よりは現時点では向上しているが、基本的に低予算という状況なのでそれほど優れているというレベルでは無い。今から新規に作るのならばフォトリアリスティックなアセット類を購入したりしてもっとクオリティが高い物に出来るのだろうが、将来的にもそこまではやらないだろう。 なおFOV調整が可能だが広めにするとスケール感が変になる感じで、視点の位置はともかくとして天井が低いというイメージがありやや違和感を覚えてしまう。FOVを狭くすれば軽減されるが、逆にこちらではズーム気味の視点になるので別の意味での違和感が生じる。 ボリューム調整可○, 3Dサウンド対応, ボイス有り。日記の朗読として再生される主人公のサムのボイスはかなり良いという感想。探索のリアリティを考えるとあまりBGMを鳴らし続けてもというのがあるのかそれは少な目で派手でもない。効果音もあまりなくてシーンとしている感が強い。 |
BOTTOMLINE |
[PROS] ○ナラティブという要素の先駆者的な存在として歴史的に重要な位置付け ○自分主導でストーリーを体験しているという感覚を得られる ○自分が探索して発見した分に応じて何が起きていたのかが解るというリアリティ ○父親の人生に関するストーリー ○屋敷の謎の解明 ○当時を生きていた人には懐かしいアイテム類が登場する ○サムのボイス [CONS] ×メインとなるストーリーの内容自体は私の趣味では無い ×必要な情報を得られずともクリア出来てしまうが、その際の情報のカット量が多過ぎる ×母親の近況や両親の関係についてのストーリー ×大半のアイテムに反応があるので、意味の有るアイテムを判別するのが面倒 |
発売当時に大絶賛された割には評価が割れているのには理由があり、それは事前にどんなストーリーなのかが全く解らないので好みから外れる可能性があるのと、ほとんどゲーム的な体験も無しに短時間でのクリアも可能というデザインだから。しかしそれ等を招く原因となっている「徐々にストーリーが判明していくというユニークな語り口」と「リアルな屋敷探索」こそがこのゲームの面白さでもあるので、そこは大きなプラス面の代償として仕方の無い所である。 ナラティブという新しい形でのストーリー提示の仕方を目指すゲームの先駆者でありそこが高く評価されているが、発売から約5年が経過して影響を受けたナラティブを重視するゲームも増えており、既にそういった後発のゲームをプレイ済みだと新鮮さが薄れるという恐れはあり。 お勧め条件としては、事前にどんなストーリーなのかという根本を明かせないのでそのストーリー面では困難というか不可能。ゲームプレイという点では探索型のプレイヤーに向いている。行ける所には欠かさずに行ってみるし、アイテム類は探し残しが無いかどうか念入りに探すというタイプ。一方で先に進めるならばそのまま進んでしまうし、アイテム類は必要とされないのならば特には探したりしないというスタンスのプレイヤーには向かないゲームなのは確か。 95年頃のアメリカで流行していた物が実際に登場したりするので、アメリカ人で且つリアルにその時代を生きていた人には感慨という点で評判が良くなるというのはあり。その意味では日本人的には不利だし(全く馴染みの無い物ばかりではないが)、当時を知らない位に若い人だと尚更そうなるはず。 ユニークなデザインを採用した歴史に残る作品であって、セール販売も既に多い&オマケで入手出来る機会も用意されている(トップ頁参照)というのもあるし、機会があればプレイしてみて損は無い物だとは書いておく。 |