HISTORY | |
全ての始まりは、マイクロソフトを退社したMike Harringtonがゲーム会社を興そうと考えた所からになる。彼はMSのストックオプション制度によって退社時に数億の金額を手にした社員の中の一人で、その資金を元手にして自分自身のゲーム会社を創るという夢にチャレンジしようと思い立つ。そこで彼は同じ退社希望の社員の中から同じ様な考えを持ったパートナーを探し、意見が一致したGabe Newellと共にValve Softwareを設立する。 どんなゲームを作るのかについては、2人ともDoomの大ファンであった為にFPSゲームを作ろうというのはすぐに決まった。ただDoomのクローンが氾濫する中で、同じ様なコピーではなくもっと新しいタイプのFPSを作ろうというのが二人の計画であった。 ![]() その後紹介された人間を3D Realms等からスカウトしたり、アマチュアの優秀なMod製作者を雇ったりしてゲームの制作が始まった。当初はゲーム自体を作るのではなく、ライセンスしたエンジンを自分達の臨むレベルにまで改造するという仕事に取り組んでおり、代表的な物としてはスケルタル・アニメーション(骨組みによるアニメーション)を組み込むというのに注力していた。 ただし初期の段階ではAクラスの大掛かりなゲームを制作しようという野望は無く、「とにかく完成度よりは発売を急ごう」というのが会社の基本的なスタンスであった。id softwareからのアドバイスも「まずはとにかく一本ゲームを出すこと」であり、風呂敷を広げ過ぎた挙句に製作途中で資金が尽きてどうにもならなくなる会社が多いという警告も受けていたからだ。 ここまでは順調に進んでいたプロジェクトだったが、販売代理店探しの段階に入って大きな障害にぶち当たる事になる。幾ら彼等がゲームのテクノロジーデモを見せてプレゼンテーションを行っても、興味を示してくれる会社は無かったからだ。契約内容がどうこうと言うレベルではなく、かなり酷い扱いでまるで相手にされないケースが多かったそうだ。彼等は「当時の感覚では全く新しいタイプのFPSゲームを作るという案はあまりにも野心的であり過ぎて、危険を冒してまでそれに乗って来る会社は出て来なかった」と分析している。 しかし最終的にはパソコンゲームの黎明期から存在している業界の老舗、Sierra On-Lineとの契約にValveは成功する。これには巡り合わせとも言える状況が存在していた。実はSierraは以前にid Softwareを買収する一歩手前まで行った事が有り、その時は金額面で折り合わずに話は御破算になっている。ところがその後idは爆発的に成長し、FPSゲーム制作会社の中でトップの地位にまで上り詰めた。一方のSierraはまだFPSの有力タイトルを保持しておらず、業界大手の中でもこのジャンルで遥かに後れを取っているという状況だった。 このidとの契約を見送った件が大きな後悔として社長であるKen Williamsには残っており、何とかしてQuakeを超えるようなFPSタイトルを自社として確保したいと考えていた。しかしそれは同じ様なアクション重視の物ではなく、何か新しい要素を持った画期的なゲームでなくてはならなかった。そこへ丁度Valveが野心的なアイディアのプロジェクトを持ち込んで来たので、その可能性に賭けて契約を結んだという話になる。もしKen Williamsが過去にidとの契約を見送るという失敗を犯しておらず、二度とこういったチャンスは逃すまいという考えを持っていなかったなら、思い切って実績の無い新参会社との契約など考えなかったかも知れない。 ![]() 初期のゲームのイメージは、著名なホラー小説家スティーヴン・キングの短編小説”The Mist”をモチーフにした物であった。ホラー要素を含んだアクションゲームというのが目標とするタイプであり、当時の開発コードネームはQuiver(震える)。その後有名なホラー小説家のMarc Laidlawをスカウトし、彼にゲームの脚本を書いてもらうという事になった。 しかしゲームの制作は思っていたほど順調には進まなかった。その理由は「初めてFPSゲームを制作するというのに加えて、自分達がやろうとしている事には先例が無かったので、ここはどういう風にすれば上手く行くのかという具体的な決定がなかなか下せないケースが多かった。」からだと話している。 HLが大々的に公開されたのは1997年のE3が最初になる。それまではQuake II, Unreal, Daikatanaといったライバルに比較して目立っていなかったゲームだが、ここでのアピールに成功して何とか注目作品の仲間入りをする事になった。ゲームはこの年のホリデーシーズンの発売に向けて開発が進められ、Sierraの側でもプロモーション活動が開始された。 しかし8月に来て、Valveは深刻な事態に直面する。発売予定となっている11月に間に合わせるには、予定していた要素の中でかなりの部分を妥協したりカットしない限りは無理そうだというのを実感したからだ。Sierraの方の説得はともかくとして、最大の問題は資金の方であった。基本的に自社で資金を用意して開発するという契約になっていた為に、開発期間の延期はHarringtonとNewellの自己資金を更に切り崩さないとならないというのを意味したからである。 最終的に何とか給料分は持つだろうという決意から、Valveは発売の延期を決定する。普通ならは新参会社の第一作目では資金の問題から長期の延期というのは難しいものだが、Valveの場合にはたまたまとでも言うのか、2人の設立者が億万長者だったという点が幸いしたと言えるだろう。 だがその後も開発は順調と言える状況では無かった。遂には1997年の末には、これでは満足の行く動作を実現出来ないとしてAI用プログラムの作り直しが決定。それと合わせてそのAI用に合わせて制作されていた全てのマップが一旦廃棄されている。その為に当初は3月まで延期予定だったゲームは、その後6月、9月へと延期を繰り返す羽目になる。 だが1998年のE3ではゲームは更なる賞賛を得て、ValveとSierraは成功に自信を持って残りの開発に携われるようになった。そして9月、ゲームの開始から数時間分を収録した特別なOEM版となる”Half-Life: Day One”が完成(We've got Hostiles辺りまでを収録)。ビデオカードやサウンドカードのバンドル用デモとしてリリースされる。 この”Half-Life: Day One”は業界からも大絶賛されて、もはやHLは発売に向けてホリデーシーズンの最大の話題作と言えるほどに盛り上がりを見せていた。ネット上に流出したりもしたようだが、それが逆にゲームの評判を上げるというプラスに働いたという話もある。 そしてゲームは遂に完成。「ヘリを操縦可能にする」、「パーツ別に異なったダメージ用のスキンを用意する」といった一部の要素はカットされたが、ほぼ予定していた全ての要素は11月の発売に間に合わせる事が出来た。その後の成功は皆さんも御存知の通りである。 |
製品版 発売履歴 | |||||||||||||||||||||||||||
以下はオリジナルのHalf-Lifeを含んだ製品の一覧。2004年のSteamがスタート以降のHalf-Life
2の統合パッケージ版にもHLが収録されている物は有るが、それらはHalf-Life: Sourceの方でオリジナルでは無い。それとSteamのみで購入可能な各種限定&お徳用パックは除外している。
|