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シ ス テ ム

キャンペーン
 難易度設定は無し。チャプターセレクト無し。二周目モードの類も持っていない。


セーブ&ロード
 チェックポイントセーブ方式。セーブ時は画面右下にアイコンが出る。セーブ地点は履歴を25個程度保持している。なおゲームを抜ける時にセーブを選ぶとその地点をセーブしてくれる様にも見えるが、全ての地点でこの任意セーブが可能なのかは未確認。


OBJECTIVES
 現在の目標をテキストなどで参照する機能は無い。目標が発生した際に、具体的にメッセージとして画面上に表示される等も無し。目標地点へのガイドとなるミニマップ機能や矢印表示も備えていない。

 そのエリア内の地図は壁に掲示されていたり、コンピューター端末にアクセスして参照は可能。後はトップ画面からロードする際には、現在の簡単な状況をテキスト表示で説明してくれる。


EXTRAS
 Steam版には実績(トロフィー)あり。ただしゲーム進行の項目10個だけで、クリアすれば誰でも全解除となる。アイテム収集等の要素は全く無く、実績(トロフィー)解除を楽しむ人向けにはなっていない。


英語
 字幕機能有り。手書きの文章が書かれた紙などを持った際に、再度クリックすると読み易い字幕表示をしてくれるのは親切。クローズドキャプションにも対応。一応説明するとこれは聴覚に障害を持つ人向けの機能で、何か音がした際に「XXの様な音がした」といった風に、音が聞こえなくてもそれが解るようにしてくれる。字幕表示時にもそれが誰の発言なのか名前が出る様になるので、字幕に頼るならこれもオンにしておいた方が解り易い。

 ゲーム内には各種ドキュメント, コンピューター端末に残されたメール記録, 音声ログ等が用意されているが、全てその場での参照に留まり、これ等を記録しておいて後に参照したりするようなインターフェースは持っていない。

コンセプト
 ここではゲームの背景設定やストーリー内容について(なるべくネタバレを避けながら)解説する。

 その前に今回のレビューでは、会社の設立メンバーの一人でありフロントマン的な立場でインタビューなどに良く登場するクリエイティブ・ディレクターのThomas Gripの思想を随所で引き合いに出しながら進めて行く。彼は「優れたホラーゲームの条件とは」といったテーマで公式ブログやインタビューにて数々の持論を展開している。その内容には分析的な物が多く、ゲーマー側の心理分析に留まらず、人間の脳の思考や認識の原理と言った難解な話も多い。徹底的に分析を行う事で良いホラーゲームが作れるのかについては何とも言えないが(ホラーとは直感的で分析出来ない物だという考え方もある)、興味深い内容が多いし実際にその結果として成果も挙げている。

 例えば初代Penumbraでの失敗を反省として、次のPenumbra: Black Plague(2008)では、今では良く見掛ける様になった「プレイヤーは一切の武器を持たないで逃げるだけ」というシステムを導入して成果を収めている。次のAmnesia: The Dark Descent(2010)でも、「繰り返し同じセクションを成功するまでリプレイさせると恐怖感が消えてしまう」という分析から、2回失敗したら敵を消してスキップしてしまうという大胆なシステムを盛り込んで話題となった。そしてこのSOMAでもAmnesia: TDDでの反省からの修正や、ホラーに関する新たな試みが導入されている。


 まず第一に挙げるべき重要なポイントは、このゲームは「理由は不明なままにある施設内に閉じ込められた主人公が、生き延びる為にモンスター達の攻撃をかわして脱出する」のがメインテーマでは無いという点である。

 普通は主人公(達)が対峙する直接的な恐怖とその作品のホラーテーマは同一である。例えばゾンビだらけの街中に閉じ込められたのならば、プレイヤーが直接対峙する恐怖はゾンビであり、同様にゾンビに囲まれて脱出出来ない死の恐怖こそがメインの題材となる。ところがSOMAでは、プレイヤーが対峙する直接的な恐怖であるモンスターと、ストーリーが扱っているホラー要素は全くの別物である。モンスターが徘徊している理由自体はメインプロットに関係しているが、実際にはたまたまそこに居るだけの存在であって、主題とするホラーのテーマとモンスターには関係が無い。だからある意味このゲームでは、モンスターが一体も出て来なくてもホラーゲームとして成立している。別の見方をするなら、モンスターとメインテーマという全く別のホラー要素が存在する二段構え構成という風に捉えても良い。

 つまり前作のAmnesia: TDDとはゲームのデザインとしても、また扱っているホラーのテーマにしても異なっている。おそらくこのゲームについては、SF的な世界が舞台だとしても内容的にはAmnesia: TDDの様なゲーム、最近の有名な物としてならAlien: IsolationOutlastの様なゲーム性と想像されている方が多いと思うのだがそうではない。ついでに書いておくと、モンスター出現を含めてビックリ系の演出(突然大音響と共に何かが発生して飛び上がらせる様な演出)すらほとんど用意されていない。

 では「その主題とするホラーのテーマとは?」となるのだが、これについてはネタバレになるので詳しくは語れないというのがSOMAのレビューの難しい所である。開発側もかなりボカした内容で公式サイトの説明に書き込んだりトレーラーの中で匂わせたりはしているが、出来れば明かしたくないという姿勢なのは間違いないのでその辺についてはここでは触れない事にする。


 ただ直接触れずに出来る限り解説すると、まず扱っているそのテーマ自体は特に斬新では無い。過去の映画や小説でも観られる物なのだが、一般的にはそれはホラーの題材であるとのイメージは持たれていない。そこをSOMAではホラーとしての切り口から扱う事で、それを一種のホラーストーリーとして成立させている。そもそもこのテーマでゲームを作ろうというアイディアは前からあったのだがその時点ではホラーでは無く、それの扱い方を変えるとホラーになって且つ面白そうだという観点から、このSOMAではそれを主題に持って来たという経緯を持っている。

 次にニュアンスとしては「ホラー」と呼ぶのはあまり適切では無いという感じで、開発側のコメントでもdisturbing, unsettlingといった表現が使われているが、日本語だと「ぞっとする」, 「落ち着かない」, 「不安感」を感じさせるテーマという方が感覚的に合っていると思う。サイコロジカル(心理的)ホラーという文句を良く目にすると思うが、正にこれはそういったジャンルに属するストーリーである。同じく“slow burning”という表現も使われており、突然の敵出現イベント等でプレイヤーをビックリさせて怖がらせたりはメインにせずに、ゆっくりとプレイヤーの精神を恐怖という名の炎で焼き尽くして行くといった感じでのデザインにされている。

 グリップの説明を幾つか引用すると、「SOMAでは新しい感覚のホラーゲームを作りたいという意図があった」。「Amnesiaでは闇やモンスターに襲われるという直感的な恐怖をメインにしていたが、SOMAでは全く別の恐怖を扱っている」。「SOMAはAmnesiaよりも怖いのか?という質問を良くされるが、私自身は怖いと考えている。ただしAmnesiaとは扱っているホラーとしての意味合いが全く異なる」。「真の恐怖は単純な“Jump Scare”(ビックリイベント)を連発しても生まれない。プレイヤーに今の置かれている状況を良く考えさせて、そこでの深い思考から恐怖感が湧き出て、それを持続する様に仕向けないとならない」。

 個人的に納得出来るのは「現実的なホラー」という観念で、例えばゾンビやモンスターに襲われるホラーは数多いが、では実際に自分がこのリアル世界でそういう状況に遭遇する可能性と言ったらほぼゼロに近い。つまりプレイヤーはゲームをプレイする上でそれを怖がってはいるが、深層心理としては「こんな事は決して起きない」という安心感を抱いている。だから「より高い可能性で現実に起こり得る物」としてプレイヤーが捉えるタイプの恐怖を用意する事で、プレイヤーをもっと高次元の恐怖へと導く事が出来る。その「心の芯を震えさせる様な恐怖」というのは、プレイ後の私の感想に近い物がある


 私自身はこの試みが成功を収めているという感想を持ったが、一方でグリップはこのゲームの狙いをややリスキーな賭だとも述べている。先に書いた様に「これをホラーゲームとして捉えてもらえるのか?」という根本的な課題がまずある。ホラーゲームは通常「これはホラーゲームです」, 「凄く怖いです」という二点を主張するが、全く怖くなくて二番目が違っていたとしても、最初のはほとんどの場合嘘では無い。だがSOMAではその「これはホラーゲームです」という点に納得して貰えない可能性がある。

 第二に題材の詳細を隠している事から、「Amnesia: TDDの様なホラーゲームを期待してプレイした人からのリアクションがどうなるか?」という問題を抱えている。更には直感的なホラーゲームとは異なり、SOMAではプレイヤーに恐怖を感じさせる為には、プレイヤー自身にいろいろとそのテーマについて深く考えを巡らせて貰わないとならないというハードルが存在している。ゲームをプレイしてその扱っているテーマについて深く考えるかどうかはプレイヤーの勝手であり、「考えないから悪いんだ」とは言えない。

 ただグリップの結論としては、「全てのプレイヤーを満足させるのは不可能であり、新しい試みにチャレンジするにはリスクを背負うのは避けられない。ベータ版におけるプレイテストでもゲームのコンセプトを肯定的に評価してくれる人の方が遥かに多かったし、発売後も否定派を賛成派の方が大きく上回る事を期待する」と述べている。そして今の所は製品版の評価も肯定派の方がずっと多く、挑戦は成功したと言えるだろう。

ストーリー構成
 ストーリーの語り方については前作のAmnesia: TDDから大きく変化した。制作側がプレイヤーに対して能動的(強制的)に示すデータをアクティブ、その情報にアクセスするかどうかをプレイヤーに任せる物をパッシブ(受動)とした場合、Amnesia: TDDでは大半のストーリー関連のデータがパッシブという設定であった。プレイヤーは城内に存在する文書類にアクセスして、それを読む事で背景情報を得て行くという方針である。だがこの方式ではどの文書をちゃんと読むのかはプレイヤー任せとなり、ストーリーが意図した通りに伝わっているのかは確実では無い。またプレイヤー側にとってもどれが重要で読むべき文書なのかが明確では無いという問題がある(メインルートに置いてあるとかで判断するしかない)。

 対してSOMAではストーリーに関連する重要な情報は全てアクティブという扱いにされている。つまり制作側が知っておいて貰いたいと考えている最低限の情報が、プレイ進行中の会話等において全て提供されるので、(意図的にそれを無視して聞かないとかでも無い限りは)全てのプレイヤーは知っておくべきストーリー内容を確実に得られる様になっている。それ以外の文書, 音声データ, コンピューター端末のログ等は全てオプション扱いとなり、ストーリーをより深く理解する為の素材という扱いにされている。なので初回プレイ時はそういったパッシブなデータを無視してクリアを優先し、リプレイ時にゆっくりとアクセスしてみるという風にもプレイ出来る様になった。

 なお「こちらの形式の方が常に優れているから」という理由では無いので念の為。例えばこのゲームではアクティブな情報をプレイヤーに与えるのに他者との会話というやり方をメインに使っているが、主人公以外にも生存者が居る, 頼れる人間が存在するといった状況は、自分一人だけしか居ないという恐怖感を現したいケースにおいては障害となる。或いは様々な人間の残した音声ログを再生する事で発生した出来事を知っていくという形式の方がホラー演出上効果的という見方もある。


 ただしここで厄介な問題が浮上してくる。それは会話がストーリーを語る上でのメインとなる為に、その内容を“言語的”に理解出来ないケースでは困った事になるという件。つまりゲームの対応音声言語(現在7ヶ国)のどれかを理解出来ないとならないのだが、現時点では日本語がそれに含まれていない。

・重要な情報はほぼ全てが会話に含まれている為に、必ず理解しないとならない語りパートがかなり長い
・字幕は有るが、会話のスピードで流れて行くのでそれに付いていく必要がある
・会話なのでログ機能は無し。文書やレコーダー保存の音声ログの様に後でじっくりと自分のペースで読んだりは出来ない。

 具体的には上記の様になっている。これは別に珍しい形式ではなく、日本語が音声言語に含まれているなら特に問題では無いのだが、残念ながら現在はそうなっていない。会話なので難解な専門用語を乱発したりする訳では無く割と平易ではあるが、「英語はどうも....」という方にとっては厳しいレベルだろう。更なる問題としてはコンセプトの項で書いたように、このゲームがストーリーに依存した形でのホラーをメインにしているという点である。単にモンスターが蔓延る施設からの脱出をメインテーマにしたゲームであるなら、ほとんどストーリーを理解出来なくても楽しめる可能性があるが、SOMAではそういった直接的なホラー要素は副次的な扱いでしかないので、ストーリーを理解出来ないというのは大きなマイナスになる。

 なにしろ会社が小さく大手代理店も通していない為に、今後日本語に対応してくれるのかはかなり疑問である。コンソール版が日本語化されて発売される可能性の方がまだありそうだが、その際にPC版も日本語対応してくれるのかは定かではない。となると有志による日本語化Modに期待するしか無さそうだが、そもそも日本語字幕化出来るファイル構造なのかすら解らない(新しいエンジンを使用している)。可能だったとしても文章量が多いので時間が掛かりそうという難題もある。


 それは置いておいてここからは肝心のストーリー内容について。最初に非常に基本的な情報を記すと、時代は未来で舞台となるのは海底基地PATHOS-2。この名前は全ての施設を統合した呼び名であり、実際には多数の施設(全てにギリシャ文字の名前が付けられている)を統合してそう呼んでいる。サイモンが目を覚ますUpsilonから始まり、その施設は深海にまで拡がって点在している。サイモンは各施設間を移動する事になるが、それには実際に徒歩にて海中を潜水服で移動して進むというルートも有れば、電車, 潜水艦, 深海エレベーター等を利用したりと様々。

 状況把握という点においてサイモンに協力してくれるのが中国系の女性科学者であるキャサリン・チャン。何が起きているかサッパリ理解出来ないサイモンが通信でコンタクトを取れた相手であり、別の施設内から彼に指示を送ってくる。このキャサリンには早い段階で会えるのだが、その後も目的となる作業の為に施設間を実際に移動して行くのはサイモンの担当。彼が到着した施設の管理端末をオンにして連絡が取れる様にし、その後キャサリンが施設内のセキュリティを解除したりする仕事を担当といった感じで進んで行く。


 ネタバレ関連についてだが、開発側ではほとんどメインテーマとする題材についての情報を出さない状態であり、映画でも良くあるが「なるべくなら一切の事前情報を持たずにプレイして(観て)貰いたい」と希望している類の作品であるのは確かである。しかし「とにかくプレイして!」では数多くのユーザーの興味を惹く事は出来ないので、トレーラーの様な映像を制作して中身の一部を見せるという手段を使用する。SOMAでもそれを使っているので、それに関しては開発側も許容している部分としてここでは軽く紹介してみようと思う。ただしなるべく事前情報を得ずにプレイしたいという方の為に、その内容部分は枠に入れて反転させておくので、各人の好みでアクセスしていただきたい。

 SOMAではゲームの序盤から大きな二つの謎が提示される。片方はもしゲームに関して基本的な情報を既に知っている人であれば、非常に早い段階で「どういうこと?」となるだろうし(プレイヤーに対して非常に明白に提示される為)、全く何も知らなかったとしても最初の施設であるUpsilonの段階で気が付くのはほぼ確実。こちらに関してはトレーラー等で提示されていない様なのでこれ以上は触れない。

 もう一つはSOMAにおいて最も良く知れ渡っている内部情報だと思うのだが、人間みたいに喋るロボットが出て来るという点。私はこれを「未来の設定だし、アンドロイドの様に高度な人工知能を搭載したロボットが存在しているという話なのでは」と想像していたのだが、実際には意味合いが違っている。 

 それを示す象徴的なシーンがストーリーのトレーラーや実際のゲームプレイのそれにて使用されており(Frictional Games YouTube channel)、つまりこのシーンが未プレイのユーザーの興味を惹くには効果的であるという判断なのであろう。以下はそのシーンにおける会話を翻訳してみた物である(その都度台詞がやや変わったりもするし、完全に正確では無い)。

 体が破損した状態のロボットが床に倒れており、それがサイモンに話し掛けて来る。

ロボット: エイミーか? そこに誰か居るのか!
サイモン: お前は....何だ?
ロボット: お前は盲目か? 私はカールだ、カール・セムキンだ。君は私を知っているか?
サイモン: いや....解らない。
ロボット: なるほど、それは実に親切で助かるよ。自分は酔っ払って倒れたとかでは無さそうなんだがね。
サイモン: 君は....人間なのか?
ロボット: (アームで頭を叩きながら)クソっ、隠そうと思ってたんだが無理だったか(ジョーク)。その通り、人間だが。君は?
サイモン; 私の名前はサイモン。この施設について何か知っているか?
ロボット: 新入りか? そいつはちょっと奇妙だな? 見ての通り私は酷く怪我をしている。その辺に誰か居ないか探して来てくれないか。
サイモン: えーと、君は“実際には”どこに居るんだ?
ロボット: 本気か? 今ここに居るだろう! この腕が見えないのか?(と言って左手のアームを振る)
サイモン: 解った、解った....。実は私にはそうは見えないんだが。目の前に居るのはロボットで、それが話しているんだが....。
ロボット: 一体何を言っているんだ? 私はここに居るだろう!(と言って体を良く見える様に半分起こす)
サイモン; 君はロボットをリモートコントロールしているのではないのか?
ロボット: それは我々が日常的にやっている仕事だがね。そうやっていたらその内に奴らに精神が宿るとでも?
サイモン: もしかしてロボットの中に捕らえられているんじゃないのか?
ロボット: 君の発想は実に無理があるな。
サイモン: 怒らないで欲しいのだが、私には君がロボットの中に捕らえられているかの様に考えられるのだが。
ロボット: 君は目を検査して貰った方が良いんじゃないのか? 私は今ここに居る。今の私には自分の手や足がちゃんと見えている。遠隔カメラの映像を通して見ているんだったら、その映像の中に自分の体の一部が映るなんて事は有り得ないだろう。

  

 上記会話シーンの補足的な解説。

 以上の会話からでもお解りの様に、これは人工知能を持ったロボットではなく、自分を人間だと主張するロボットの事である。そして非常に奇妙なのは、高度な知能を持っているロボットが「実は自分は人間なのだと認識させられている」のでは無いという点。彼は自分の手足を見た上で、自分を人間だと主張している。仮に「機械で出来たロボットの様な体を人間と呼ぶ」のだと認識させられているなら、目の前のサイモンを同じ人間だと認識するのはおかしい。では逆に突飛な発想ではあるが、倒れているのは確かに人間であり、それがサイモンには何等かの理由でロボットに見えている? のかとなるとこれも違う。何故なら同じフロア内に死体として転がっている人間が居て、それはサイモンにはちゃんと人間の体に見えているし、目にする自分の体(通常は一人称視点なので腕だけだが)も人間の物として見えているからである。

ストーリー構成(続)
 ここまでで序盤における不可思議な二つの謎について触れたが、実はこの謎についてはゲームが半分も進まないうちに解決してしまう。言い換えると、このSOMAとはどういうテーマの話なのかという点は、プレイヤーに対して早目に提示される。その謎解きの魅力で最後まで引っ張るという構成では無い。そんなに早く謎が解明されてしまっては面白くないのでは?と考える方も居るだろうが、本題となるテーマが明らかにされてからの恐怖が真の見所となっている


 ストーリーの流れについてはプレイヤー主導という点を重視している(流行とも言えるナラティブなデザイン)。グリップのコメントを引用すれば、「通り抜ける為の扉において、単純に『何とかしてこのドアを開けろ』と指令して開けさせるやり方は、プレイヤーに対して『自分はゲームを先に進める為にこのドアを開けている』と強く意識させるので受動的であり、全く感情的に楽しめる体験では無い。そこで例えば施設の電源供給ユニットをオンにする事で、コミュニケーション用のデバイスがオンになって使える様になると設定しておき、その情報だけをプレイヤーに対して示す。それにより『このデバイスをオンに出来れば誰かと連絡が取れるかも知れない』とプレイヤーに思わせ、その為にドアを開けるという目的を自らの意志として行う様に仕向ける事で、自分の行動に応じてゲームが進められているという能動的な感覚を持たせられる」。

 或いは目的の達成に対して、その行為をあまり単純化せずにプレイヤーの意志を絡ませるという手法。例えば(このゲーム内にこんなシーンは無いが)、「外に出る前にXXに行って武器を用意してこい」とか言われる設定は良くある。そこで武器庫なりに行って武器を持って戻ってくる訳だが、この過程は単なる作業であって必要性は無くプレイヤーにとっても面白くない。そこで例えば設定を「XXに行ってYYから武器を借りてこい」という風に変える。そして実際に行ってみると、YYからは「その武器持って行くのかよ。いざとなったら俺が使うかもしれないのに」と不満な対応をされる。でも持って行かないと話が進まないからそうするが、プレイヤーからすると「YYに対して悪い事をしたのでは」という感情が生まれる。実際にはやっている事は最初の形式と何ら変わりないし、それでYYが本当に襲われて困るという訳でも無い。だがプレイヤーには「武器を自分の意志で持って来た」という風に考えさせられるから、ゲーム進行の為にやらされている感を払拭させられる。

 グリップはまた「プレイヤーを信用せよ」とも主張している。「プレイヤーに気付かせたい内容をカットシーンの様な形で情報として提供するべきでは無い。プレイヤーが出来るだけ自由に動き回って探索出来る様に設定しておき、ゲーム内の全ての進行がプレイヤーの手によって行われるようにする。例としてプレイヤーが大事な情報を持っている人に話し掛けないと困るからとして、強制的にそれをイベント等の形で行うのでは無く、あくまでプレイヤーの責任として実際にそれをやらせる。或いは全てのヒントを与えずに断片的な情報を与えるだけにして、その先をプレイヤー自身に考えさせる様にする。これはプレイヤーの“楽しいプレイ体験”という面において若干マイナスに働く恐れがあるが、あくまでもプレイヤーを信用して彼等に考えさせるという点は維持するべき。そうしないと実際に自分がやっているという感覚が生まれないから没入感も低くなる」。


 モラルチョイスという要素も導入されている。これは新しい概念ではないが、ヒットして高評価も受けたアドベンチャーゲームであるThe Walking DeadとかHeavy Rainにて使われていた事から、同じく採用するゲームが増え始めていたりする状況にある。ゲーム中にプレイヤーに対して決断を迫る選択肢が用意されているが、その選択肢が“善悪”といった単純な概念では割り切れない物を特にこう呼ぶ。例えばどちらか片方しか命を助けられないという状況でどちらを助けるかを選択しないとならない, 命乞いをする悪人を殺すか許すか, 一般的には悪と考えられている行為だが自分にとっては有利となる事を行うか(Bioshockのリトルシスターに対する選択等)といった物。なお選択の難しい決断(ディフィカルトチョイス)についてもこの名称に含めたりするケースもある。(二人のNPCから出た意見の中で片方に賛成しないとならず、反対した方とは以後険悪になってしまうといった物)。選択肢の結果がどの程度その後の進行に影響を及ぼすのかはシーンにより、特に大きな影響は与えないという設定もあり。

 グリップ曰く、「プレイヤーに対して精神的なプレッシャーを与えるというのは重要な要素だが、それは『次のセーブポイントまで到達しないとそれまでの進行を失ってしまう』という心配よりも、『自分の選択肢がゲーム世界に何等かの悪影響を与えてしまうのではないか』というプレッシャーを与える方が有効である。それは特にプレイヤー個人に影響が限られる様なパーソナルな選択肢の方が理想となる。そして選択肢はその結果がどういう風に現れるのか、想像出来ない様に曖昧である方が良い。ゲーム制作側に取っての大きな負荷は分岐を制作(達成)しないとならない事だが、これは必ずしも明確な分岐にする必要は無い。実際に選択肢の影響がその後の展開に大きな変化を与えず、またその事実を既にプレイヤーが知っていたとしても、モラルチョイスは大きな心理的プレッシャーをプレイヤーに与える事が出来るという意味で大変効果的である。プレイヤーは大いに考え悩む事で、ゲーム内世界への感情移入がより高まる事になる」。

 実際に用意されているモラルチョイスのシーンは明確な物だけで6箇所程度(カウントするべきかという物も含まれるので)。ここでの選択が後の展開にはあまり影響を及ぼさないだろうなと感じられるシーンが多いのだが、その選択には実に悩まされる題材も含まれており効果を挙げている。特にこのゲームの設定ならではの、他のゲームでは用意出来ない様なタイプのモラルチョイスを用意している点が面白い。また画面上に表示される選択肢をクリックすると自動的に行われるのでは無く、その操作(作業)を実際にプレイヤーにやらせるという設定も、それが“ある種の酷い行為”であるなら、実際にそれを自分が行っている感が強く出る為に心理的プレッシャーとして上手く働いている。

 ゲームの進行に分岐は無し。ただサイモンが行った行為により、会話の内容や状況が一部変化したりする事はある。それとこのゲームはマルチエンディングでは無い事を書き添えておく。途中でどんな選択をしてもエンディングは変わらない。それとエンディングと言えば、クレジット後にもゲームは続くので注意。このゲームはクレジットが短いので特に問題はないと思うが、見逃した場合には最新のセーブから続行すればOKである。


 最後に個人的に印象に残っている「ぞっとする」, 「ショッキングな」シーンを挙げておく(モンスターとの遭遇は除く)。

*Upsilon Shuttle Station Amy Azzaroとの遭遇
*それまでの謎が氷解するシーン
*Delta 最後の乗り物内でのCatherineとの会話内容
*Theta Mark Sarang&Robin Bassの思想と行動
*Theta トイレ
*Theta セキュリティコードを入手する為に行う一連の過程(一体何だこれは、的な意味で)
*Omicron パワースーツを装着した時
*Omicron 最後のシーンの選択肢
*Tau 従業員達の部屋の中の様子
*ゲームのラストシーン(クレジット後のシーンでは無く)

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