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シ ス テ ム |
キャンペーン 難易度は無し。アイテム持ち越しの二周目やクリア後の別モードは持っていない。 セーブ&ロード オートセーブ(1箇所のみを上書き)。スロットは3個。 OBJECTIVES 現在の目標の参照機能, アイコン表示や矢印による方向ガイド機能は無し。ただしそれに類する機能は用意されている。ミニマップを含めてのマップ表示機能などは持っていない。 言語 字幕有り(日本語対応) その他 *キーアサイン可○, マウス感度設定可○, マウス反転可○, 明るさ調整可○ *一人称視点固定, FOV調整不可× *スプリント○, 屈み×, ジャンプ× *照準(カーソル)無し *コントローラー対応○ *Steam実績対応 字幕は登場人物別に色分け指定も可。また1つ前の字幕を消さずに2段表示にする事も出来る。ドキュメント類のプレーンテキスト表示にも対応している。 方向ガイド機能は持っていないが、音声などがした際にその出所を画面上に示す機能は有り。他にもある種のガイド機能を備えている。 日本語翻訳は自然で問題無し。 |
BASICS |
ゲームがその根幹に据えているのは主人公エドワードとリッシーとの会話となり、全編を通して二人のやり取りが続きそれを用いてストーリーの説明などが行われるというデザイン。その意味でRagnar Tornquist自身は近いゲームとしてFirewatchを挙げている(同じく主人公2人の会話が全ての中心に進められる)。 そこでこの2人の関係なのだが、私の事前の想像としては, エドワード家の使用人の一人でお供に付いて来た, エドワードは大学教授でそのゼミに属する学生がバイト的な役割で同行, エドワードは私立探偵でその助手、といったものを考えていた。しかし始まってみるとリッシーの年齢は17歳でかなり若い(ちなみにエドワードの方は情報からすると46歳辺り)。そして非常に元気で快活, じっとしていられずに踊ったり運動をしたり, 言いつけを聞かずに勝手に行動, (本気で馬鹿にしているとかでは無いが)エドワードを小馬鹿にした様な発言など口が悪いといった風で、日本的に言えば“じゃじゃ馬”“おてんば”とかそういったイメージ。予想とは大きく異なるキャラクターであり、序盤での印象としては「ノルウェーに出掛けると知ったら自分も一緒に行くと言い出し、止めさせる事が出来ずに強引に付いて来てしまった親戚の子供」といった感じ。なお実際のところはどの様な関係なのかはゲーム中に明らかにされる。 大きな問題でかつ重要な事項なのだが、ストアの説明を読んでもどういったタイプの作品なのかがハッキリしない。これはユーザーの購買するかどうかにおける判断基準においても大切な事項であり、実際にセールスにおいても悪影響が出ていると考えられるので明確にしておこう。具体的にはこれはミステリなのかホラーなのかが良く判らないのである。そしてこの二つのジャンルは基本的には相容れない存在である。どちらか片方しか好まない(プレイしない)という人は居るし、私の様にどちらも好みであるという者も居る。しかし私に取っても事前にどちらのジャンルに属しているのかが判らないというのは(ゲームに限らず書籍等であっても)困る。 例えばこれは普通のミステリだとされていたので読んで(プレイして)みたら、「犯人は幽霊や悪魔でした」とか「トリックは超能力を使って実現した物」という内容であったら腹が立つ。このゲームで言うなら仮に「村人はDraugenによって皆殺しにされていた。エドワードとリッシーはその恐怖から逃れないとならない」という設定だった場合、ホラーゲームであるとプレイヤー側が認識しているのならば何の問題も無い。でもミステリだと思い込んでプレイしてみたらこの設定だったでは駄目である。逆にホラーだと思い込んでやってみたら何の怪奇現象も起きないし敵も出て来ないでも同様。そこで事前にユーザーには購入の選択の為に基本的な情報を公開しておくのが重要となる。 そして結論としてはこのDraugenはミステリである。「村人が全員消失しており見当たらない」, 「エリザベスの行方」という謎に関しては超自然現象やモンスターの類は関与していない。よってこれをホラーだと考えていてそれを期待する&ミステリには興味が無いという方にはお勧め出来る作品では無い事になる。 話をややこしくしているのは、元はこのDraugenがサバイバルホラーだったという件も絡んでいる。制作が発表されたのは2013年と古く、その時点ではホラーゲームとしてデザインされていた。翌年の最初のトレーラーでも同様。話題性が高い作品では無かったのでホラーファンでもあまりこの件は知らないだろうと思えるが、一方でアドベンチャーゲームのファンにとっては有名な会社だったので「ADVでは無くホラー物というのは意外」という事からそれなりに知られていた。それを引き摺ったまま今でもこれはホラーであると誤解している人も居そうである。 舞台や設定は同じで、妹を探しに来たエドワードが村人の消失に遭遇。迎えの船が来るまでの一週間怪物からサバイバルするという内容であった。しかし徐々にストーリーを語る事やキャラクター同士の会話の方に重要さが傾いて行き、またホラー物は怖くてプレイが出来ないという人が意外に多くてそれは避けたい, ホラーゲームは大量に出る様になったのでその中で個性を発揮するのが困難になっている、などから方針を転換する事に。 しかしそれならばタイトルは変更するべきであったと感じる。金が少なく大規模な宣伝手段を持たないインディーズにとっては途中でのタイトル変更はそれまでのプロモーション努力を犠牲にする事になるので避けたいというのは理解出来るが、超自然的な怪物(幽霊)の名称だと知れている「Draugen」がタイトルではホラーだと連想されてしまうのは当然。実際のところ中身でDraugenには触れられるがタイトル回収の為のこじつけ的な印象があり、この内容にこのタイトルは残念ながら失敗していると思う。例えば『ノルウェー漁村の謎』とかにでもしておけばミステリファンに対してもこれは通常のミステリ物だと伝わり易い。 |
GAMEPLAY |
クリアまでは約4時間だった。3時間程度でクリア出来てしまうという人も多く、定価20ドルでこれは短いという批判も挙がっている。ある程度の会話関連の分岐要素があったり、風景スケッチを行える場所を探し出すといった付加的な件(実績絡み)は存在するが、リプレイ性は薄くて短いが繰り返し遊べるというデザインでは無い。セーブスロットは3個有るがマルチエンディングでも無い。 次にミステリではあるが推理物のアドベンチャーゲームでは無い。努力して手掛かりを探し出したり、自身の推理を組み立てて提示しそれが正解しないと先に進めないといったゲーム性では無く、プレイヤーが謎解きをする必要性は設けられていない。つまりミステリ[小説・映画・ドラマ]に近く、ほぼ一本道で進められるストーリーを味わうというタイプの作品である。 プレイヤーがアクション等のスキルを要求される箇所は無し(細かい事を書くと1箇所遅れるとゲームオーバーになるかの様なシーンが在るが実際にそうなるのかは未検証)。パズルは有るが必要なアイテムを発見すれば自動的にキャラクターが解いてしまう。マップはある程度は広いがガイド的な機能もあるのでどちらに行ったら良いのかで迷う事も起きない。インタラクトが可能な箇所は遠くからでも表示されるので見逃す恐れは無い(それまで出来なかった場所が新たに可能になったりは有り)。といった風にプレイヤー側には謎解きは要求されないし(もちろん自分でも進めながら推理は行って楽しむ余地はあるが)詰まる所が無いからスンナリと最後まで進められてしまう。それが悪いという事では無いのだが、ミステリを自分で解いて楽しみたいという人に取っては物足りないのは確か。 元はもっとパズル要素を含んだゲーム性だったのだが(アドベンチャーゲームを制作していた会社なので当然だが)、ナラティブな要素を活かす, エドワードとリッシーの会話を最優先事項にするといった変遷を経て、全てのプレイヤーが最後まで辿り着ける様に「途中には詰まる可能性のある要素を設けない」というデザインに変えたそうである。 ではウォーキングシミュレーターなのかと言えばとそうではない。WSをどう定義するのかは個人差があるしWSだと言うならそれでも良いのだが、制作者はWSと呼ばれる事を嫌っているし、私自身の定義からの判定でもそうではない。私はWSとはゲームプレイとされる要素が(ほぼ)無いのに加えて、プレイヤーが探索している世界(時間帯)は静的で特にイベント等が起きない物と考えている(ドキュメント類から明らかになる過去のストーリーの方では派手な事件やイベントが有ったとしても)。その意味ではエドワードとリッシーが探索中のグローヴィクではダイナミックなイベント, サスペンスな展開などが発生して淡々と進められたりはしない。良く似ていると自称するFirewatchもWSかどうか意見が分かれているが、それと同様にWSをどう定義するのかによって変わると言えよう。 ホラーでは無いと書いたが補足。上記の様に敵に追われるとかステルスや戦闘などのゲームプレイは存在していない。しかし明るく健全で何一つとしてプレイヤーを不穏な気持ちにさせるような事項は発生しないのかとなるとそれは違う。気味の悪さとか軽度だがグロテスクな要素などは出て来る様になっている。 ゲームが最重要としているのがエドワードとリッシーの会話機能。ストーリーはこの2人の会話によって説明される(進められる)様になっている。スクリプトによって展開する物がメインだが、面白いのはFirewatch同様に任意の会話機能が設けられている点。特に何かが起きている訳では無いシーンでもリッシーへの呼び出し(語り掛け)が可能で、その場合の2人の距離やシチュエーションに応じて自動的に適した物が選択される仕組み(エドワードの独白を含む)。かなりの数が用意されており定型文が繰り返される訳では無い。よってどれだけこの語り掛けを行うのかによってもプレイ時間やゲームからの印象は変わってくる事になる。 それとプレイヤーがどちらに行ったら良いのかや次に何をすれば良いのかについては困らない様に親切なガイド機能を設けるというデザインなのだが、それを目標リストとして表示したりマップや矢印などで示したりとゲーム的なシステムにするよりも、リッシーとの会話によりガイドされる方が自然で没入感も高められて優れているという理由からも使われている。 先に書いたようにエドワードとリッシーは非常に仲が良いとか、エドワードの言う事には忠実に従うといった関係ではないので悪口やユーモアを含んだ2人の掛け合いはなかなか面白く(その意味では日本語訳が良好なのは大きなプラスになっている)、確かにゲームの大きな魅力になっていると言える。 エンディングは一つだけでルート分岐は無い。だが選択肢により得られる情報や会話内容の変化などは存在。選択肢をハイライトすると概要が出る機能を持っているが、どれかを選ぶと他は消える純粋な選択肢のケースもあれば、順番に全部指定出来るケースも有る(選択しないと時間切れも有り)。 |