GAMEPLAY |
RPGとFPSのハイブリッドとしてデザインされていたSystem Shock 2に対して、このBioShockは「スタイルとしてはあくまでもFPS」と語られていた通りに、ゲームの根本的なデザインは大きく異なっている。それはRPG要素が薄いと言うよりも、その扱い方がユニークなので”一般的な意味でのRPGらしさ”が感じられないゲームと言うべきかも知れない。 一般的なRPGで単独のキャラクタを操作するタイプの場合、開始時点で戦士・魔法使い・盗賊・僧侶といったクラスを選択したり、或いは能力パラメータを好みに割り振ってからゲームを開始する事になる(SS2やDeus Exもこのタイプ)。その後はレベルアップする度に能力パラメータを上昇させたりしてキャラクタを自分の思うように成長させて行く訳だが、この様なRPGにおいてはプレイヤーの自由度には制限が加えられる事になる。つまりゲーム開始前には100%だった自由度は、キャラクタを製作してゲームをスタートした瞬間からその何分の一にも減ってしまう。キャラクタが自分の特性に応じたプレイスタイルを採る関係上、例えば戦士が魔法使いの様に戦ったりは出来ないからだ。同様にキャラクタを成長させるにつれて、こういった制限は(一般的には)増して行く傾向にある。ただしこういった行動の自由度の制限は欠点と捉える様な物ではなく、そもそもRPGでキャラクタを作成するとはそういう物だという話に過ぎない。 一方でBioShockにはゲーム開始前のキャラクタ製作の要素は存在しないし、能力パラメータも無ければ経験値といった要素も含まれていない。ADAM, Plasmids, Gene Tonicsといったアイテムを集めて人体を改造する事で能力を伸ばすという方式になっている。ここでのポイントは、どんな能力を組み合わせてインストールするかに制限は無いし、更にはその能力を自由に入れ替える事が出来るという点になる。また武器の所持数制限も無いし、Plasmidsを大量に装備する事による武器使用への制限(或いはその逆)も存在していない。 プレイスタイルによってのキャラクタの分類は一応可能である。正面からの直接戦闘タイプ or 敵の同士討ちや監視装置の利用を重視する間接戦闘タイプ。レンチを使った近接戦タイプ or 遠距離からの攻撃タイプ。Plasmids重視派 or 武器重視派等。だがそういった一つのタイプに限定されずに、プレイのスタイルを何時でも自由に切り替えられるという点が普通のRPGとは異なっている(必要な物を持っていて、切り替え用の装置が有ればだが)。レンチを使って近接戦を重視したいならそれに有利に働く能力をインストールし、そこから切り替えたければ他の能力と差し替えてしまえば良い。言わば戦士・魔法使い・盗賊といった各種クラスをゲーム中に自由に切り替えられるシステムのRPGがこのBioShockである。 もしSS2の様にパラメータによる成長システムにしたのなら、例えば監視カメラの扱いは、戦士タイプは武器で破壊して突破、魔法使い(Plasmids派)なら電撃で麻痺させて通ったり敵にbotを向けさせるように仕向ける、盗賊はハッキング中心で突破、という風にキャラクタのタイプ別にクリアの仕方が変わるというゲーム性になったはずである。言い換えれば、キャラクタによって対処の自由度には制限が加わるゲームとなっていた。 しかしBioShockではこの中のどれでもその時に思ったやり方でクリアする事が(通常は)可能である。つまり目の前の問題に対する対処方法の自由度が非常に高い。この辺の自由度の高さと行動の柔軟性が大きな売りとなっており、ゲームを面白くしている要素でもある。普通のRPGでは魔法使いで成長させて来たキャラクタにて突然戦士の様に戦ってみたいと考えても無理な事がほとんどだが、このゲームではそういった切り替えが自在に可能になっている。 ただし良い事ばかりではない。この自由なキャラクタ能力の切り替えシステムを採用した事による代償の一つ目は、キャラクタに魅力が感じられないという点になる。何でも出来るスーパーマンなら強いから良いというものではなく、能力を限定して個性化するからこそ作成したキャラクタに魅力が生まれるというのは確かにある。その意味で主人公Jackの印象は無色透明に近く、キャラクタを好みにカスタマイズして成長させて行くという面白味は無い。その時々で見るならば或る種のタイプのキャラクタになっているので、RPG的な要素を含むとは言える。だがRPGのファンがこれをプレイして、これは確かにRPGの要素を含んでいると感じるかどうかには疑問もある。 次に何でも出来てしまうので、一度クリアしてしまうとゲーム内で可能な行動の多くを既に体験してしまっている状態になり、リプレイ時の魅力が減少してしまう。先にRPGでは作成したキャラクタのタイプにより可能な行動パターンが減るので行動の自由度も失われると書いたが、これにはリプレイ時に違うタイプのキャラクタを選べば大きく異なった体験が出来るのでリプレイ性が高くなるという利点がある。この二点はBioShockの欠点とも言えるが、プレイ中の高い自由度を実現した代償でもある訳で、全ては一長一短なのであって責められるべき点ではない。或いはFPSとして見るならばリプレイ性が低いのは必ずしも欠点とは言えず、プレイは一回だけでもそれが面白かったのならば成功であるとも取れる。 ゲームの発売後にインタビュー等でいろいろと開発にまつわる経緯の話が出て来ており、実はこのRPG要素の変遷についても言及されている。2006年のE3が一般のゲーマーに対しての御披露目の場となった訳だが、その際に大手のゲームサイト等を回ってユーザーのコメントを収集しそのリアクションを調べたそうだ。その結果として、確かに注目度は高く興味を引く事に成功はしたが、プロモーションが上手く行っていないという結論に達する。「これはFPSなのかRPGなのかというのがハッキリせず、どんなゲームなのかが具体的に掴めないという反応が多かった。そこで”これはシューターである”という点をもっと前面に押し出し、”Shooter 2.0”というキャッチコピーを作ってユーザーにアピールするように宣伝方針を変えた」と述べている。またRPGには付き物の能力の数値化という要素を排除し、プレイヤーの振る舞いの自由度の高さがRPGでの自由度に相当するという点をより強調するゲームデザインにも変更された。具体的にその前後でどういう風に変わったのかまでは判らないが、一般的な意味でのRPG要素の減退というのがこの時期を境にして起きたのは間違いない。 リプレイ性という点について別の観点から検証して見ると、もう一つリプレイ性を下げる要素が存在している。それはマップの狭さである。ゲーム全体のボリュームとして見るならば、マップは特別に狭いとは言えない。しかし高いリプレイ性を生む程にはマップは広くないのも確かである。どういう意味かというと、ゲームをクリアする為だけに寄り道をせずに進めても、それだけでマップ全体の多くの部分をクリアしてしまうようになっており、リプレイ時に未探索のパートが相当少なくなってしまうのである。初回に多少の探索を含んでクリアすれば、未探索エリアはもっと少なくなる。更に未探索の部分に大きなイベントが発生したりするのではなく、クリアが自由なサブのミッションも与えられず、単にアイテム探しがメインという扱いなので劇的な変化も望めない。RPGの様に多彩なクエストが用意されているのでリプレイ性が高いという風にはなっていないのである。 進行の自由度もリプレイ性には重要な要素だが、チュートリアル的な役割の2番目のマップまではブロックされていたりで制限も多いものの、それ以降は比較的自由に探索が出来るマップが増えて来る。各マップは最初から全体構造が与えられるので、現在の指示には従わずにマップを見ながら適当に探索して回っても構わない。メトロを利用して以前のマップに戻る事も可能である。その意味でマップ内での行動の自由度は高い。 ただしイベントによるストーリーや進行の変化には乏しく、エンディングのムービー以外に採った行動によって先の展開が変化するというシーンはほとんど無い。また常にやるべき事が与えられているので、プレイに緩急が感じられず一本道の印象が強くなっているというのもある。RPGだと何をするのか具体的な目標が無く、その目標を見つける為に旅をしてレベルを上げたり聞き込みをしたりといった間が入ったりもするが、そういう間が無くて具体的にやるべき事が次々に指示されるようになっている。それと会話可能な人間がほとんど存在しないし、話せても選択肢が出る訳ではないのでその点でも一本道。 個人的には難易度を変えて2回プレイし(NormalとHard)、2回目でもそれ程飽きも来たりはせずに楽しめたが、それ以上となると食指が動かない印象。私は2回でもリプレイ出来るならば減点する事はないと捉えているが、それだけでは不満を感じる人もいるかも知れない。 ゲームのストーリーについては非常に評価も高く、個人的にもこのゲームの最大の魅力の一つになっていると感じる。ゲーム中に発生するいわゆる”どんでん返し”は見事でありショッキングでもある。当然推理小説のトリック同様にネタバレの解説は出来ないが、FPSでこれだけ設定に凝った面白い物は稀だろう。 ただその辺の伏線関係がかなり複雑であり、音声ログを集めなかったり適当に聞きながら進めていると英語の解る現地のプレイヤーでも意味が分らないという声が有った位で、ログを読んで凡その流れは理解しておかないと意味が通らないかも知れない。 物理エンジンはUE3デフォルトのPhysXではなくHavokを採用。比較的計算の影響を受けるオブジェクト類は多く、飛び方も派手な部類となっている。死体のラグドールはよくあるゴム人形の様な妙な軽さも感じられずまともだと思うが、周囲のオブジェクトと重なってしまったりというケースも時々見受けられる。また派手に爆発させるとアイテムがどこかに吹き飛んでしまうというケースも有り。 |
RAPTURE |
このゲームの最大の魅力とも言えるのが、舞台として製作された海底都市Raptureの造形やその雰囲気である。マップ単位で大きくイメージの異なった物が用意されており、内部を探索しているだけでも楽しめる。アール・デコ(art deco)を採り入れたデザインが使われており、一般的なFPSのゲームのマップとは大きく異なったイメージを与えてくれている。アート感覚のマップデザインがゲームに必要なのかについてKen
Levineは、「私がホラーゲームをプレイしていて良く感じるのは、恐怖は”美”から生まれる物だというのをゲームのデザイナー達が忘れているのではないかという事だ」と話している。BioShockは決してホラー要素を強調したゲームではないが、確かにその美しさ故に不気味さを感じさせる箇所はいくつも存在している。 Rapture内部にはわずかだが人間としての生存者が存在しており、彼等とコンタクトしながらストーリーが進められるという構成になっている。ただし選択肢による会話といった要素は含まれていないし、マップ内を彷徨っている人間のほとんどは発狂しているので会話は出来ない。過去に起きた出来事については、SS2の様に残された音声ログ等のデータから探って行くというシステムである。なおログの記録が進行の為の手がかりになっているというケースは稀で(暗証番号程度)、ログを無視してもちゃんと進めるようになっている。 各マップはメトロで連結されているので、戻ろうと思えば途中で引き返す事も原則的には可能。ゲームの途中で発生するイベントを境に大きく前・後半に分けられるが、分量的には前半部分が2/3近くを占めている。デザインも前半の方がアート的に優れている物が多く、後半のマップは比較的一般的な感じの物が多い。ただし行動ルートの自由度や、クリアするのには必要ではない脇道の広さは後半のマップの方が多い。 マップ単体ではArcadiaとFort Frolicの2つが突出して人気が高くなっている。ArcadiaはRapture内部に酸素を供給する為の木々が育てられている場所で、イベントも多いし戦闘も激しい箇所となっている。Fort Frolic(娯楽施設)は個人的には一番お気に入りのマップで、ここを管理している”芸術家”であるSander Cohenは、「フリークス揃いのRaptureの中でも最凶の狂人」と呼ばれる程の強烈なインパクトを持ったキャラクターである。後半にはこれだけの印象の強いマップが存在せず、やや勢いが落ちてしまう感が有るのは否めない。最後にラストのマップは「それまでのイメージにはそぐわず浮いている」という批判も多いようだが、私としてはそれ程気にはならなかった(あれで良いとは言わないが)。 ゲームの大きな特徴として掲げられていたAI Ecology、すなわちRapture内部に構成されるAIによる生態系の存在についてだが、これは残念な事にほとんど機能していない。 AI Ecologyの概念についてまとめてみると、内部の生物は大きく分けて三種類に分類され、最初が一般世界での肉食獣に当たる存在のSplicers(Aggressors)。ADAMによる過剰な人体改造により精神がおかしくなっている元人間達の事で、非常に好戦的で他の生物の持つアイテム等を求めて攻撃する傾向にある。二番目がGatherers(Little Sister)で、死体から体液を大きな注射器で抜き取りそれを捕食してから体内で変換し、再びADAMを純粋な形で取り出して吐き出す能力を持っている。それとProtectors(Big Daddy)は、このLSを保護して守る役割を担っている。 この三種がマップ内に混在しており、SplicersはADAMを求めてLSを襲いBDとの戦闘になったり、或いはSplicers同士でアイテムを奪い合ったりして戦いが起きている。AIのパターンで分けるなら40種類以上の生物が各々自分の考えで行動しており、それらの相互作用が全くランダムに発生して一つの生態系を構成するというのがその定義となっていた。「この”生きている世界”を製作するというのが我々の目的であり、その世界は最もリアリティを持った物としてプレイヤーの目には映るはずである。それによって現実同様の世界に自分は存在していると感じられるようになり、最終的には究極の没入感を生み出す事になる」と語られていた。 しかし実際にはマップ内の世界にはほとんど自発的な動きは感じられない。SplicersはLSを襲おうとはしないし、スクリプト以外のシーンでお互いに争っているケースは稀である。たまにHoudini Splicersが他のSplicersと争っているのを見る程度。BDの制圧圏内に偶然入ってしまった際に殴られたりとかは起きるが、その後戦闘に発展したりはしない。プレイヤーとの戦闘中に流れ弾が当たるとか、監視botとの戦闘中に同じ様に流れ弾が当たったりするとそれがSplicers同士やBDの戦闘に発展したりする事は有るが、プレイヤーが何も仕掛けなければ動かない静的な世界である。 発売後の話を聞くと、2005年の時点で既にこの構想はトーンダウンしていたようだ。理由はこの構想そのものの受けが悪かったかららしい。普段FPSをプレイしている人間からすると、このAI Ecologyという自発的に動いている仮想世界という概念は斬新で魅力的な物に映るのだが、一般的なゲーマーに取っては「自分の知らない所でゲームが進められている」となって不自然な感覚を受けたりするようだ。よってプレイヤー中心の世界として、プレイヤーが働き掛けない限りは大きな変化が発生しない世界へと変わったという話らしい。しかし実際にはゲームが発売されるまでこのAI Ecologyという概念は宣伝文句として使われており、どういった物を指して製作チームがこれをAI Ecologyと呼んでいたのかは理解に苦しむ。 「ゲーム的な作り物の世界」という感を強めている要素にはRespawnも含まれている。Respawn自体がゲーム上どうなのかはさて置き、その扱いがあまり上手く行っていない。その理由はマップの狭さで、そのサイズはゲームのボリュームからすると狭いとは言えないが、Respawnに不自然さを感じさせないほどには広くないのである。例えば同じタイプの要素を持ったゲームとしてS.T.A.LK.E.R.が有るが、向こうはマップ内の固定復活ポイント以外は、マップの端から足りなくなったNPCが補充されるという風になっている(プレイヤーには見えない所でRespawnが行われる)。またその補充速度も相当にゆっくりなケースが多いので、一度完全にNPCが排除された場所が再び埋まるまでには時間が掛かるし、また同じタイプのNPCがやって来るとは限らないともされていた。 だがBioShockでは狭いエリア内に大して間を置かずに同じタイプの敵が補充されるので不自然な面が強い。プレイヤーが観察して何処にも他には行き場の無い閉鎖空間のはずなのに、そのエリア内に敵が幾らでも湧いてしまうという点も不自然さを強調している要素の一つである。 |