最後の後悔

 あなたはゲームを購入してみて、最後に”本気でそれを後悔した”のが何時だったのかを憶えておいでだろうか? 「つい先日の事だ!」という方にはお悔みを申し上げるしかないが、自分はどうかと振り返って見るとすぐには思い出せないのが実情である。その一番の理由とは、自分のゲームに対する見方がゲームをまとめて評価するという視点に切り替わったという事にある。


 基準をどの辺に置くのかは曖昧だが、年に10本・20本とゲームを数多く購入するようになると、それに対する評価が”単体の各ゲーム”ではなくて、その”購入したゲーム全体”に対して行われるようになるのではないかという話である。例えば年間で5万・10万といった金額をゲームの購入に充てるとした場合に、その本数や金額が多くなるほどゲーム全体でその金額分楽しめたのかという意識が強まって来るように思える。


 自分自身もそうなのだが、購入したゲームの中の一部が詰まらなかったりしても「数多く買えば中には外れも有るだろう」程度の感想しか持たないし、非常に面白いゲームに遭遇すれば「値段以上に楽しめた」として、不満を持ったゲームの感想と相殺されてしまうようになる。そして結果的には「ゲームによって出来不出来の差は有ったが、今年は総合的には値段分(或いはそれ以上)楽しめた」という感想に落ち着いたりする。勿論酷いゲームが全体の半分を占めるとかになれば話は別だが、そこまで平均して酷いゲームがリリースされている訳でもない(と個人的には考える)。

 それによって特定の酷いゲームに遭遇しても強烈な怒りや恨みは抱かないようになってくる。”今年の外れゲーム”、”自分には合わないゲーム”といった無機質な感想で片付けられるだけになりがちで、或いは本当に詰まらなければ途中で投げ出され忘れられてお終いという形になる。作品に対してWEBを通じて何か感想を書くにしても、あえて非常に詰まらなかった作品を採り上げて不満や怒りを書き綴るよりは、面白かった物について書く方が私としては優先されるので(出たばかりのデモの印象とかは別だが)、その意味でも詰まらなかった作品は記憶の中からすぐに排除される傾向が強い。
 これは映画鑑賞の様な、作品辺りの単価が安くてもっと数をこなせるタイプのメディアだともっと顕著になると思われる。映画が好きでレンタルで借りたりして年に50本以上観るといったクラスになって来ると、一々詰まらなかった映画の事を引き摺ったりはしないだろう。面白い物がどれだけ観れたかが、その年の映画に対する判断基準になると思われる。

 経済的にゲームを沢山買う事が出来なかった時代はこうでは無かった。今の高校生以下の子供がどの程度ゲームを買っているのか知らないが、年に3,4本以下といったレベルだと、それぞれに掛かる期待度のウェイトは非常に重くなる。そしてそれが外れだった時の失望や怒りは、おそらく今の自分には感じ取れない物だと想像する。同様にPCゲームの購入にそれ程回せる金が無いので、吟味に吟味を重ねて「これぞ!」と判断したゲームしか購入しないという人でも話は一緒だろう。買うゲームが少ないほど、それが詰まらなかった時のダメージは大きい

 プレイヤーに後悔を感じさせるのは購入金額ばかりではない。プレイに費やした時間も非常に重要と言える。その意味では比較的クリアに長時間掛かる上に、面白さの見極めが序盤では難しいRPGは危険度が高い。その内に面白くなるのではないかと考えて50-100時間プレイした結果として詰まらなかったというのでは、時間を返せと言いたくもなるだろう。MMOG系も同様に詰まらないと無駄に時間を費やした事による怒りが大きくなるタイプである。
 逆にFPSを含めたアクション系のゲームでは、クリアまでに長い時間が掛かる物が少ない。また後半に行くに連れて見違えるように面白くなるというケースは稀であり、大体は1/3程度も進めれば後がどんな程度なのかは感覚的に判ってしまう事が多く、そうなるとそのまま放置というパターンも増えて来る。それ故に詰まらないゲームに当たっても時間を無駄にしたという不満はRPG系に比べれば相当軽減される訳で、その意味で昔はよくプレイしていたRPGをここ10年ほどはほとんどやっていないという点も、後悔を感じないという今の心境に影響している。

 他には特定のタイトルへの思い入れが減少しつつあるという理由も含まれる。「これが外れたら他が面白くても今年は駄目だったと判断せざるを得ない」と言える程の、自分にとって重要なタイトルが最早存在していない。確かに期待するタイトルは毎年存在しているが、それが全体の評価の多くを占める程の重要度を持っていないのである。或る意味では寂しい話だが、ゲームをプレイする本数が多くなるに連れてどうしてもその傾向は強まるように思う。
 更にゲーム関連の情報量の増大化も大きな関わりを持っていると言えるだろう。インターネットの発達と共にゲーム関連サイトが増えて、各ゲームに対する情報が自宅でも豊富に得られたりするようになったのはここ7-8年位の話であり、その前は特に海外ゲームに関する情報を集めるのは簡単ではなかった。よって少ない情報から面白そうだと判断する物を選んで買うというギャンブル性が高い状況にあったのだが、今では集めようと思えば相当な情報を事前に得る事が可能になり、その為に外れを引く可能性が以前よりも相当に低くなっている。また昔に比べて酷いゲームが大幅に少なくなっているとは思わないが、事前情報により最初から大して期待していない作品だと、実際にプレイしてみて非常に詰まらなくてもそれに対して激しく怒ったりはしなくなるというのもある。私自身もサイトを運営する関係上各ゲームの情報を結構事前に集めているので、実際にプレイする前にそれがどんなゲームなのかをよく知らないというケースが減りつつある。それによってプレイした際に大きな失望を味わう可能性が少なくなった代わりに、昔の様なプレイ前の期待と不安の入り混じったスリル感を味わう事も少なくなって来たのは複雑な気持ちである。

 結論として「ゲームを数多くプレイするほど”外れ”に当たる確率は増える筈なのだが、実際にはプレイする本数が少ない人の方が買ったのを後悔する事が多くなる。」と思うのだが如何だろうか?