神はゲームをやらない

 一般的なゲームレビューサイトとは異なった視点からレビューを行っているサイトの第二弾として、今回はキリスト教という観点からのガイドを記載している所を紹介してみたい。日本においてはキリスト教は広まっている宗教では無いので、その意味で前回の親視点からのレビューに比較すると、レビュワーの視点や感覚が一般的な日本人からは分かり難いという面を持っている。またキリスト教と一口に言ってもその教派は多岐に渡っており、カトリックとプロテスタントという分類に止まらず、思想の違いによって幅広い教派が存在している。それぞれの考え方には大きな違いもあって、単純に「これがキリスト教だ」とは定義するのは難しい。


 前回の親視点からのレビューは、ある程度の割合以上の親側の共通した意見という面が強かったが、今回はそういった多彩な思想の違いというのもあるので、「ゲームに対してこういった受け取り方をする人もいる」といった意味合いの方が強くなっている。少数派による極端な見方も含まれているという点には留意して欲しい。実際にレビューへのコメントや掲示板を見ても、その意見はレビューに真っ向から反対する物も多かったりと様々である。


 ゲーム自体のレビューと、キリスト教的な視点からのレビューは完全に分離させているケースが多く、ゲームとしては絶賛しているがクリスチャンには薦められないという結論の物も良く見られる。一般的には「キリスト教の観点からは多くの人が抵抗を感じるであろう」と考えられる要素をマイナス点として挙げて、その他に人(教派)によっては問題になるという点はデータとして列挙しておくというスタイルになっている。



 レビューサイトとしては以下の様な所が存在している。それ以外では映画・TVドラマ・書籍といった分野の作品をキリスト教的な立場から評価・警告しているサイトにおいて、その一部分としてゲームのジャンルが付け加えられているサイトも在る。


*Guide to Games
 最新のゲームには三段階のキリスト教的視点からの評価。それ以前には“Christian Rating”という項目を設けて5段階の判定を行っている。最大級のサイトだと思うが、過去の記事は見られなくなっているようだ。


*Christ Centered Gamer  
 こちらもレビューの数は非常に多い。“Appropriateness”(適切度)という項目でキリスト教的な視点からの評価を行っている。


*The Timothy Plan
 ゲームの内容の方の評価は無し。問題となる項目をその要素別に点数化し、ゲームの一覧リストと共に「最もプレイするべきではないゲーム: トップ30」を紹介している。


*Hardcore Christian Gamer   
 名前からも分かるように「ゲームはあくまでもゲーム」という傾向が強いサイト。レビュー数はXbox 360中心にそこそこ。キリスト教的な視点からの内容紹介も他より少なく、問題視する姿勢も弱くなっている。


*Plain Games      
 紹介しているゲームはまあまあの数。やはりキリスト教的視点からの評価を5項目に分けて点数化して紹介している。


*Saved Gamers
 まだ出来たばかりのサイトでレビュー数は少ない。


 
 まずは我々日本人にとっても理解し易い分野から。 


*言葉遣い
 “Curse words”, “F Word”, “Profanity(冒涜)”などと呼ばれる汚い言葉について。これは子供向けのゲームについても重視されている点だったが、この場合には大人としての一般的クリスチャンを含めた警告事項となる。この言葉遣いについては相当神経質という印象で、具体的にどの様な単語が何回使われているかといった細かい点にまで言及していたり、点数としてならマイナス面で大きな比重を占める物とされている様だ。こういった感嘆詞としての言葉には、”Jesus Christ”, “Goddamn”, “Hell”といった神や地獄関連の物も含まれているので、こういった物だと特に過敏である。 ただしこのような言葉に対する抵抗感はアメリカでは地域(そこで主流の教派)によって大きく異なるので、全ての人が強い嫌悪感を覚えるという訳ではない。


 フィルターを掛けてこういった言葉をカット出来る機能を持ったゲームが理想的とされているがそれは少数。なのでスピーチのボリュームを独立して調整可能なゲームが良しとされて、ゲーム上不利になってでも台詞をカットしてプレイするのを推奨していたりする。


*暴力・残虐表現
 キリスト教では「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」という言葉にもあるように、相手を攻撃したりする事は望ましくない行為とされている。しかし敵と戦うゲームというのは多い訳で、戦闘が一切駄目ではプレイ可能なゲームが限定されてしまう。不味いとされるのはやはり自己の利益の為、或いは無意味に人を殺す行為であり、敵が攻撃してくるので仕方なくという方が抵抗感が少なくなる。
 殺し方についても“cold-blooded killing”、残酷&冷酷な殺し方をする物ほど不可という判定を受ける。ただ首を切り落としたり体を引き裂いたりするのが残酷として悪い評価を受けるのは分かるのだが、 不意討ちして殺すという行為も同様に大きなマイナスとなるようだ。例えばHitman天誅の様に背後からステルスで殺すようなゲームは概ね最低ランクの評価である。逆に敵を殺さない方法が採れて、それを推奨するようなステルス物は高評価となる。


 流血やゴア要素に関しても概ね不可という立場だが、こちらは年齢的に成人ならば大きな問題は無いだろうというレビューも多い。オプションでカット出来るゲームはプラスとして評価されている。


*アダルトコンテンツ
 ヌードや露出系についても問題視されており、かなり具体的にどの程度の露出が含まれるのかを記載している。性行為についてはどの程度の描写なのかを記載。ただこちらは上記2点ほどにはシビアではないようで、これには感じ方に個人差が大きいというのもあると思われる。禁じられた行為となる同性愛については過敏であるが、そういった要素を含んだゲーム自体がほとんど無いので指摘は少ない。しかしArmy of Twoの様にそれを連想させるような恐れがあるゲームについては警告されている。


*酒・タバコ
 データとして含まれているかどうかを指摘。これ等を禁じているのかどうかは教派によって異なるので、単なる指摘レベルに留まっているレビューが多い。


 ※これ以降に紹介するゲームのレビューでは当然上記の様な要素に対する指摘が行われているが、前回の年齢レーティングの記事とダブる面も有るので、基本的にそれらはカットして、その他のキリスト教的な視点からの批判に絞って記して行く。



 続いてはオカルトについて。日本ではオカルトの定義はかなり曖昧だが、海外では正統キリスト教以外の神秘主義体系がオカルティズムというイメージとなり、言わば反キリスト教的な神秘要素といった概念になる。分かり易い物では、サタン、デーモン、魔女、地獄、ペンタグラムといった要素。FPSゲーマーなら「これはアウトだろう」という作品をすぐに連想出来ると思うが、やはりというか酷い評価を受けている。


◎Doom III
 「ゲーム全体が完全な悪魔主義的な雰囲気に包まれており、恐怖や嫌悪感を感じずにはいられない。21歳の私ですらこうなのだから、もしこれを13歳の子供がプレイしたらどうなってしまうのか想像も出来ない。プレイ後の子供の人格や態度にまで悪影響を及ぼす恐れがある。具体的なSSを掲示したいとは思うのだが、あまりにも悪魔的な画像が多いので載せる訳には行かない状況である。とにかくこのゲームにはプレイする価値はなく、決して近付くべきではない。ゲーム史上最も悪魔的なゲームであり、全てのキリスト教徒はこれをプレイしない事を強くお薦めする。」 


◎Painkiller
 「多くの人は地獄との戦いにおいて天国側に立って戦うというのは良い事だと考えるかも知れないが、実際のゲーム内容はそうではない。ゲームのメニュー画面やマップ内部にはペンタグラムが描かれており、最後には悪魔の様なチャントがサウンドとして流れる中で、その中に飛び込まないとならなくなっている。また倒した悪魔のソウルを自ら吸収して、それが溜まるとデーモンに変身するようになっており、キリスト教的な立場からはデーモンに自分が変化する事には非常に恐怖を覚える。全てのクリスチャンにはこのゲームは薦められない。」



 なおここまで直接的な表現ではなくても、悪魔関連の要素については共通して抵抗感があるのは確かなようで、


◎Guitar Hero(シリーズ)   曲の歌詞に悪魔に言及した物が含まれていたり、ミュージシャンの容姿が悪魔的という点が問題視されている

◎Marvel: Ultimate Alliance     コミックスが由来のゲームだが、それでも地獄をテーマにしたかの様なマップを強く問題(プレイしたくないと)にしている

◎Devil May Cry 4       主人公は純粋な悪では無いが、太古の悪魔のパワーを利用して攻撃したりする点が不可。技の名前も問題。


 等々いろいろと挙げられている。


 オカルト要素としてちょっと分かり難いと思われるのはゴーストや超自然現象で、どういう物が駄目なのかという基準が掴み難い。例えばアドベンチャーゲームでは精神的な異世界へと旅をするといった設定が出て来る物があるが、これは大きくではないが抵触する内容となる。FPSだとPreyのSpirit Walk(本体から精神が分離して行動する)やDeath Walk(死後の世界で戦ってHPを得る)といった概念は問題視されているが、F.E.A.R.の様な物は問題が無いそうで良く基準が分からない。 同様にタロットカードが大きく問題視されるというのもピンと来ない点である(キリスト教的には禁止要素)。それが実際にゲーム内で使われてはいなくても登場するだけで警告対象となっている。



 当然ながら異教(邪教)も警告対象となっている。ただしそれ自体は分かるのだが、その異教に対する反発・抵抗感の強さというのは無宗教の者だと感覚的に分かり難い面がある。かなり強いトーンでそれを否定する記載が多い。


◎Okami (大神)
 「天照大神は日本の神道における中心的な神であり、それがゲーム内では狼として姿を現している。Okamiでは古くからの日本の神々にまつわる要素が盛り込まれていて、他にも東アジアにおける仏教や儒教からの影響も強い。しかしそれらは全て間違った宗教である事は明らかである。」

 「クリスチャンはこのゲームを避けた方が安全だろう。明るい色彩のグラフィックスにもかかわらず、何か邪悪な存在がその背後には感じられる。このOkamiが宗教的な改心を目的としたツールとは思えないが、東洋的な思想からの悪い影響には注意するべきである。」


 今回のクリスチャンによるレビューに多いパターンとして、ゲームの内容自体については評価するが、キリスト教的立場からは問題が多いのでお薦め出来ない、という結論の物が見られる。このゲームでもゲームプレイやグラフィックス等は絶賛しており満点評価だが、宗教的な内容は受け入れられないという記事になっている。


◎Thief: Deadly Shadows
 「異教徒に関する内容が満載であり、ゲームの価値はそれで大きく下がっている。ゲーム自体は優れたステルスゲームなのだが、この様な内容によって全てが台無しにされており、それが私自身が最後までプレイせずに止めてしまった理由である。」


 「クリスチャンとしてそこまで嫌なら何故プレイするの?」といった疑問は当然あると思うが、実際にゲーム的な観点からはプレイしたいのでやってみたが、耐えられずにプレイを止めざるを得なかったというレビューも散見される。その一例。


◎Halo
 コブナントはヘイローを崇拝しているが、それは誤った神であるとしている。SF的な設定においてもキリスト教以外の神という存在は認められないらしい。


◎Culdcept Saga (カルドセプト サーガ)
 (人気シリーズの一作品。4人までが参加して土地を確保しながら資産を稼いで行くタイプのゲームで、手札のカードからクリーチャーを召喚させて戦う要素を含む)

 「使用されるカードの中には異教に関連する物が多く含まれており、クリスチャンならば真剣にプレイするかどうかを考えた方が良い。数々の異教の神々が含まれていて、中には悪魔と認識される存在も登場する。そんなカードが私の手札の中に入ってきた時のショック!。他人(AI)のカードにも正視出来ない物が出て来る。」

 「私の中ではこういった異教の忌わしき要素を消化する事が出来ず、毎日1-3時間のプレイを続けた結果、夢の中に実際にそのイメージが出て来る様にまでなってしまった。若い子供達がプレイした場合にも同様の悪夢を見る恐れがあり、本当に恐ろしい。」     


 このレビュワーはゲームそのものについては、最も高い戦略性を有する非常に深いゲームとして満点を付けている。しかし熱中して毎日やり続けた結果として、異教の神々がカードとして登場するという点に宗教的に耐えられず、悪夢を見るまでに至ったというケース。ゲーム的な感覚からすると、カードのタイプにバラエティさを持たせるには正邪の異なった種類が在った方が面白くなるというデザインは自然だと思うのだが、邪悪と認識される物は単なる手札として登場しても精神的に大きなダメージを受ける人もいるという話である。



 中世の魔女裁判からも想像出来るように、魔法という概念も駄目な要素に含まれる。これもクリスチャン以外からは感覚的に分かり難い要素と言えるだろう。「魔法が駄目ならRPGとかはどうするの?」というのは当然の疑問だが、これは“ファンタジー”という概念で受け入れられる。或いは「指輪物語」の様な高度な文学的作品にはハイファンタジーという呼び名も使われる。問題となるのは、では「魔法とファンタジーはどこから区別するのか?」という点だが、これは教派や個人によって異なると言うしかない。


 例えば著名なハリーポッターシリーズだが、その魔法に関連する内容の是非を巡っては議論が起きており、学校や公共の図書館から排除しようという運動も行われている。参考:「ハリーに揺れる米キリスト教原理主義」。他にはこれ程では無いにせよ、スターウォーズにおけるフォースの力を問題視して、同シリーズを認めるか排斥するかという議論も存在している。よってレビューでは書き手の考えを示すのは勿論だが、詳しい魔法の内容についてデータを挙げている物が多い。いろいろと読んでみた結果としては以下の様な傾向になっているようだ。


・白と黒といった区別は存在しないので、黒魔術といった概念は大きくマイナスとなる
・ネクロマンサー(死者やアンデッド系)の存在は大きくマイナスとなる
・敵や味方が魔法を掛けるのはまだ受け入れられるが、本人が使えるのはマイナスとなる
・キャラクタを選択可能な場合、魔法を使わないキャラクタがいるならプラスとされる
・魔法を使うキャラクタを入れなくてもパーティーを組めるのならばプラスとされる(クリア可能ならばという条件は付くと思うが)
・自分自身の体に内蔵されたエネルギーを源として発動される魔法はマイナスとなる(文字通りの魔法能力になるから)
・スクロールを使ったり、魔法を内部に封じ込めたアイテム(魔石等)を使って発動する物は問題が軽度とされる(自分自身が使える訳ではないから)
・獣やモンスターを召喚する能力はマイナスとなる(理由は良く分からないが駄目らしい)


 レビューの一例として、The Elder Scrolls IV: Oblivionなどは、魔法が非常に多く使われているので大きく減点されているが、メイジのギルドはネクロマンサーを敵として認めていないという点は評価出来るとしている。



 次にこれもまた独特の要素だが、「すべての人を愛しなさい」というキリスト教では復讐を禁じているので、そういった内容は問題視される。しかし日本では、ゲームのみならず漫画や映画、ドラマや小説でも、復讐する事をモチベーションとして行動している人間という設定は非常にポピュラーであり、ストーリーの一要素としてそれを使えないとなると痛い様に思える。本人ではなくてもPRGでパーティーの仲間に復讐を目的としたキャラクタが含まれるといったケースでも警告対象となるので、和製RPGを海外に移植する際には問題になる事も多くなるだろう。


◎Warcraft 3
 「ゲーム内で最も問題視される内容はArthas王子である。彼は当初非常に良い人物として登場するが、段々と復讐心を燃やすようになってアンデッドへと身を落とす。プレイヤーはアンデッドのキャンペーンとして彼を使わざるを得ない。彼は嘗ての仲間を含めて多くの身近な人間を殺害するし、最終的にも改心はせずに終わる。この悪人としてプレイする部分は精神的に悪い印象を与えるパートになっている。」


◎Max Payne 2: The Fall of Max Payne
 「ゲーム全体は重く暗いトーンに終始しており、最後まで何の救いも無いストーリーとなっている。ゲームのテーマは復讐・憎悪・強欲といった物ばかりで、登場人物にはモラルを持った人間はいない。ゲーム内容自体は優れていて面白いが、どんな事をしても避けるべきゲームである。」



 逆にキリスト教的に良いとされる要素もある。それは登場人物のモラルについてであり、具体的にはその内容がキリスト教的に教訓となる様なものかどうか、または自己犠牲の精神が表われているかどうか等。その点を褒めているゲームを紹介しよう。


◎Call of Juarez
 「プレイヤーの多くはゲームの序盤に主人公の一人であるReverend Rayが(昔は名立たるガンマンだったが、その後ある事件をキッカケにして教会で牧師を務めている)、神の名の下に暴力を奮い出すようになるシーンを嫌に感じると思う。しかし彼は最終的には自分の考えが誤っていた事を認めて、ゲーム史上で最も優れた振る舞いを行うクリスチャンのキャラクタの一人へと変わる。これはクリスチャンとして私が最も好きなゲームの中の一つであり、ゲーム自体には欠点も見られるが、クリスチャンのメッセージを体験出来る優れた物として強く推薦したい。 」


◎Prince of Persia: The Two Thrones
 「このゲームのストーリーは良い教訓を含んでいる。根本的なテーマは、如何にモチベーションがその人物の行動に影響を与えるかという点にある。彼の最終的な目標は敵を倒す事に始めから変わりは無いが、何故彼等を倒さないとならないのかという点については心境が変化して行く。彼の当初のモチベーションは復讐であり、また周囲の者達からの尊敬を得る事でもある。しかし旅の途中で「真の戦士とは自分以外の者の為に戦う者である」という事に気付かされて、人々を助ける事が真の目的へと変わって行く。このゲームのストーリーはゲームの中で最も高い評価を与えられる点で、それがこの主人公をゲーム史上で最も複雑かつ魅力的なキャラクタの一人として際立たせている。」



 最後にいわゆる“God game”と呼ばれるタイプのゲームにはどういった評価を下すのかだが、完全に外部から中の世界に影響を与えるゲームについては特に問題は無いようだ。例えばシムシティの様な物。シムピープルといった物でも、シム人に対して影響を与える立場だがその点については大きな抵抗は見られない(ただし他のコンテンツについては問題視される要素が多いゲームではある)。Sporeの様な進化を扱ったゲームの場合、進化論とキリスト教では相容れないとする教派も存在するのでどうなのかと思ったが、地球とは異なる単なるシミュレーションという程度の受け取り方が大半。一方でBlack and Whiteの様に、文字通りの神の立場となって人民達から崇拝を集めたり畏怖を与えたりする物だと、神に成り代って行動しているかの様な感覚に抵抗感があるというレビューも見られる。


 冒頭にも書いた様に、キリスト教的な視点からゲーム内容を問題視するという行動は目立った物ではなく、年齢レーティングでも問題視されるのと同じ要素以外の点にこだわるのは少数派と思われる。或いは問題視する人は最初から一切ゲームという世界に関わっていないからそう見えるのかも知れない。