近年QTEを導入するゲームが増加傾向にある。しかし私がそういった採用ゲームの是非を公式掲示板等にて見る限りでは、導入反対派の方がずっと多くて賛成派は少ない。にもかかわらず採用するゲームが増えているというのは一体どういう理由からなのだろうか? 今回はその辺りについて書いてみたい。
その前に一応QTEの簡単なおさらいから。その歴史や有名な採用作については論じていると長くなるので基本だけ。QTEとはQuick Time Eventの意味で、画面上に表示される何等かの指示を, 「制限時間内に」, 「正確に」, 入力させて、その成否を問うミニゲームである。
させる行為については「一つのボタンを押す」, 「連続した複数のボタンを順番通りに押す」, 「特定のボタンを連打させる」, 「複数のボタンを組み合わせて押す」, 「マウスを揺さぶる(PC)」等いろいろと種類が在る。シチュエーションの方では、「ゲームをプレイ中に出るタイプ」と「外部カメラからのカットシーンにて発生する」の両方存在している。
それと一回だけ独立して発生する物と、(主にカットシーンなどで)断続的にだが長い時間を掛けて複数回の入力を行わせる物という分け方も出来る。実例を挙げると以下の様な物がある。
*近接攻撃を仕掛けてきた敵への対応(組み付かれたりした際に、成功すると振り解ける等)
*突発的なイベントへの対応(突っ込んで来た車から飛び退いて逃げる, 落ちて来た岩を避ける, ギャップで大ジャンプ, 危険に曝された味方を救助等)
*フィニッシングムーブ(敵をスタン状態等に追い込んでから、トドメを刺す動作を実行する際に表示される)
*アクションを含んだ長時間のカットシーン(ムービー再生中に複数回入力を求められ、成功or失敗の結果がムービーとして実行される)
*連続した戦闘アクション(主にボス戦等、戦闘の全てがムービー仕立てになっており、QTEのみを使って戦う)
厳密な定義についてはちょっと難しい面もある。個人的な定義としては「その指示表示を見て理解する必要がある」, 「要求される操作は基本操作とは関連が無い操作である」, 「要求される操作はランダムで固定されていない」と考えている。敵に組み付かれた際に4個のボタンの中でどれかが表示されるので、その色を素早く連打すれば振り払えるというのはQTE。一方でシステムとして「アクションボタン連打で組み付いてきた敵を振り払える」という操作が用意されているならば、これは「画面に表示された操作を実行する」訳ではないのでQTEではない。
組み付かれた際に画面上に親切に「アクションボタンを連打せよ」という表示が出る物は、この指示を見る必要が無いのでQTEではない。微妙なのは4個のボタンの中のどれかが表示されるが、同じシチュエーションでは常に同じボタンが表示されるので、解ってしまえば画面上で押すべきボタンを確認する必要が無いというケース。
続いてはQTEが嫌われる理由を列挙してみる(当然どう考えるのかには個人差がある)。まずは「敵の組み付きで発生する」など比較的発生頻度が多い設定だと、繰り返しているうちに単調さに飽きが来てしまう。同様にやたらとイベントシーンでQTEを多用するデザインのゲームも好まれない。次に通常操作とは全く違う操作を要求されるという点への違和感。そして成功時に自動的に攻撃等の一連の動作が行われる際に、自分がそれを操作しているのではないという感覚がゲームへの没入感を妨げる件。
QTEが失敗した際の扱いには幾つかのパターンがあり、ボスへのフィニッシングムーブの様に「成功させる必要があるが、失敗してもやり直せる」というのが一つ。モンスターの組み付き攻撃の様に「失敗するとダメージを受ける等のペナルティはあるが、それ以降も普通にプレイは続行される」という物。その中で「失敗すると即死扱い」というタイプが結構有って、これを嫌う人が多いようだ。例えば外部カメラ視点からのカットシーンにて、次々と要求されるQTEを連続で成功させていくという形式で、一回でも失敗すると死亡扱いとなり最初からやり直しといったケース。本編の操作とは関連の無いボタン押しゲームを延々と繰り返す羽目になると詰まらなくなる可能性が高い。
あとは難易度が高いケース。特に難易度を上げるとQTEの難易度も上がるという設定だと、本編は平気なのだがQTEで詰まってしまって進めなくなるという恐れがある。当然オマケ的存在であるミニゲームで苦戦していては面白くないからストレスになる。
最後にPCへの移植の問題。QTEでは認識率の高いカラーボタンや記号ボタンが使われる事が多いが、PCにはこういった物が用意されていない。文字キーを出して入力させるにしても前記のボタンほど直感的には判断出来ないし、マウスのボタンを押させるケースでは大きなアイコンで表示して判断し易くしてもらいたいのだが、そこを上手く処理しているゲームはそれ程無いという印象である。
本題に話は戻って、何故QTEの採用例が増えているのかについて考えてみる。「QTEの使い方がユニークだったり上手かったりで評価を得ているゲームは存在するのでそれに影響を受けて」では無いだろう。類型的な使い方のみを繰り返すゲームが多いからである。ユーザーには反発されていても、制作者側に確固たる「QTEは面白い」という信念があるから、というのもありそうにない。
となるとユーザーからは批判が多いのに採用数が増えているという矛盾を説明するには、「実際にはQTEの評判は良い」と考えるべきなのではないかと思える。そこで出てくるのがカジュアル層の存在である。デザイン段階からどんな層にどれだけ売るのかといったマーケティングが行われる訳だが、カジュアル層に多くを売るという話になれば当然カジュアル層に受ける様に作られる。例えばゲーマー層が3割でカジュアル層が7割を占めるという計算ならば、テスターからのフィードバックとしてゲーマー層がQTEに否定的な意見でも、カジュアル層のテスターが肯定的であれば採用する意味合いは十分にある事になる。
しかしゲームサイトの掲示板等で議論を戦わせる人間にはゲーマー層の方がずっと多い為に、そこだけを見ると反対者の方が多い様に見えてしまうという状態である。つまりカジュアル層にはQTEは受けているし、或いは作り手側としてもQTEを使った方がカジュアル層に適したゲームを作り易いという事情が、今のQTEの流行を生んでいるというのが私の意見である。より数多くの本数を売らないとならない大作ほどQTEを採用している様に見えるのも、この説を裏付ける点の一つになる。
そこで何故カジュアル層にはQTEが受けるのか?になってくるが、やはり第一は映画的な視点からの演出というのがある。昔から受動的な映画, 能動的なゲームという分け方があって、ゲームとは自分から進んでインタラクトしていく物であると認識されている。よってプレイヤーが関与出来ない(時にはスキップする事も出来ない)ムービーシーンが非常に長いゲームに対しては、「そんなにムービーを見せたいなら映画でも作れよ」といった批判が存在していた訳である。だが一方でコマンド操作によって動かせる範囲内ではキャラクターが行える動作が限定されてしまうので、視覚的に“魅せる”演出が行えないという悩みがあり、そこはムービーシーンを使ってプレイヤーに見せたいという願望が発生する。
QTEではその中間的な使い方が可能であり、外部の映画的なカメラ視点から、通常では行えない様な多種のアクションを長時間に渡って見せられる。そして純粋なムービーとは異なり、見せている最中にプレイヤーに対して正確なボタン押しのアクションを随時要求する事が出来るので、インタラクティブなゲーム性という件も保てる。実際の使用例として、掲載しているQuantum of Solaceの動画の冒頭の様に、ボス戦等のアクションシーンを全てQTEでプレイさせるという風にも作れる。ゲーマーからは「通常時の操作とは全く異なる操作を要求される為に、自分が操作しているという感覚が希薄になる」という点を批判されたりしているが、この様に多彩で映画的なアクションシーンは通常操作の範囲内では制作が困難なのも確か。
そしてそういったQTEを利用した映画的なアクションシーンの導入がカジュアル層には評判が良いのだと想像する。特に最大市場である北米は映画というメディアが非常に大きな市場を持っており、その中の映画ファンだがゲームは特に好きでは無いという多大な人口層に対して、映画的に魅せるシーンを持ったゲームというのはアピール度が高いという分析があるのではないかと考えている。その他には近年のゲームプレイ動画の流行において、「自分はゲームが下手なので、動作が失敗ばかりの自分操作のキャラクターを眺めているよりも、上手い人がプレイしている動画を見ている方が楽しめる」といった声も聞かれるが、これもまた受動的な映画ファン的思考と言えるだろう。その点QTEを成功させる事でキャラクターが格好良いアクションを行ってくれるゲームが、スキルが低いプレイヤーが多めのカジュアル層に受けているという面もあると思う。
次に操作の統一化という側面。カジュアルなユーザー向けの機種としてWiiが存在するが、その操作性の特徴はリモコンにあり、少ないボタン操作の他はリモコンの動きを認識させてプレイするようになっている。そしてどんなゲームであってもその点は変わらず、単純で本能的な操作によりプレイが可能という点がカジュアル層に対して解り易いとして受けている。QTEはそれと共通項を持っており、ボタン表示のシステムはどのゲームにおいてもほぼ変わらない為に、ゲームが変わっても同様の操作で対応出来る事になるのでカジュアル層にとっては親しみ易い。QTEが多用されるゲームでその操作に慣れた後に、同じくQTEを多用するゲームがあったとしたら、それをプレイし易いゲームとして受け止めて貰えるという話である。FPSなどのコントローラー操作でもゲーム別に大きな違いは無いが、ボタン数が多いから慣れるまでにはより時間が掛かるし、更にプレイする本数がゲーマーよりもずっと少ないから習熟速度が遅いという問題もある。
また作り手側にとっての利点も持っている。例として突然モンスターが襲い掛かって来るシーンがあったとする。対応としては素早く照準をその敵に向けて銃の攻撃ボタンを押す事で、攻撃される前に倒せるという設定である。ところがテスターにやらせてみたところ、カジュアル層では攻撃が間に合わないプレイヤーが想定以上に多かったとする。しかし敵から攻撃を受けるまでの時間を延ばす修正だと、見た目に緊迫感が出ないしゲーマーにとっては簡単になってしまうので上手くない。
では両タイプのどこに差があるのかとなると、主にコントローラーでの操作に慣れているかどうかが関わっている。慣れているプレイヤーは即座に銃を撃つボタンがどれかのかを判断して正確に撃てるが、あまりゲームをやらないカジュアル層ではボタンを押し間違えて、撃つべき時にジャンプしたり屈んだりと誤操作が増えてしまう訳だ。そこでこのパートをQTEへと差し替える。QTEとは非常に単純化するなら、「画面に(4個の)ボタンの中でどれかが表示されるので、そのボタンを即座に押して下さい」という事であり、このスタイルにしてしまえばゲーマーとカジュアル層の差は小さくなる。何故なら適切なボタン操作をとっさに行うには、そのゲームにおけるコントローラーでの操作に慣れていないとならないが、画面に表示されたボタンを押せというのは単なる反射神経のテストであって、操作に慣れている必要が無いからカジュアル層でも失敗率を減らす事が可能である。よって襲って来るモンスターにプレイヤーは必ず掴まれ、そこでQTEを成功させると自動的に銃で撃って倒すアニメーションが実行されて、その後プレイヤーに再度操作が戻るという方式が好んで使われるようになる。言ってみればQTEとはゲーマーとカジュアル層のスキルの差を解消するのに便利なシステムである。
ゲームの難易度調整は非常に難しい事項で、手応えのある難所を適当に設けないとならないが、そこをクリア出来ずに詰まってしまい途中で投げられてしまうのは避けたい(低評価を受けてしまうから)。だが全体的に簡単になると、今度は手応えがないゲームとして批判される。そこである程度は難しくはしておいて、詰まったらキャンペーンの途中でも難易度を下げられる仕様を用意しているゲームも増えている。けれども既にEasyでプレイしているプレイヤーがボス戦等の難所で詰まった場合、それより下の難易度がなければそこで詰んでしまうかもしれない。
そこで難易度を自動的に調整するシステムを導入する。どの程度のゲームがこれを採用しているのかは不明(一番下の難易度でしか機能しないという可能性もあるので検証が難しい)。ポイントはQTEの方が違和感なくそれを行えるという点で、入力許容時間を延ばす, (複数ボタンなら)簡単な組み合わせにする, 同じボタンを繰り返し出す、等のやり方で目立たずにQTEの難易度を下げられる(もちろん程度にもよるが)。それをQTE無しの通常戦闘で行った際に、プレイヤーからのダメージを増やしたり、被ダメージを減らすというやり方にしてしまうと、露骨なので感付かれてしまう恐れがある。もし難易度が下がった事を気付かれずにクリアさせられれば、プレイヤー側に実力でクリアしたという満足感を与えられるので効果は大きい。そこで難所のシーンにQTEを使って戦うというシステムを導入するのが、カジュアル層への効果を考えると有効だとなる。
以上QTEを採用するゲームが増えている理由について考察してみたが、とりあえずこの流れは来年辺りまでは確実に続くと思われる。QTEがデザイン段階で組み込まれたとして、それが完成されたゲームとして発売されるまでには時間が掛かるからである(現在QTEを重視して制作されているゲームが出終わるまでは続くの意味)。それ以降に関してはユーザーの反応次第だろう。「想像していた程にはカジュアルユーザーに効果的ではない」といった分析結果が出る可能性もあるし、「ここまでゲーマー層に反発されるとそちら側での売り上げに悪影響が出る」と判断されるかもしれない。そうなれば採用ゲームは減って行くはずだが、カジュアル層の反応が我々一般人には詳しく掴めないだけに予測は困難だと言えよう。